現在の舞鶴市喜多。明治17年当時、戸数 6戸、社1戸、総計7戸、人数 男16口、女9口、総計25口。
・出典 京都府地誌32~35加佐郡村誌1~4、京都府庁文書、京都府立京都学・歴彩館所蔵
村誌
丹後國加佐郡新宮(シングウ)村
本村古来田造郷ノ属ニシテ、四所荘ノ部内ニアリ、元同郡喜夛・下福井両村ニ属スル海瀕ノ地タリシヲ、弘化元年甲辰本郡由良村ノ人新宮涼亭、領主牧野氏ニ請ヒ、自費ヲ以テ之ヲ開墾シ、尓後独立シテ本村ノ称ヲ用ウ
●疆域 西北南三方ハ同郡喜多村ト耕地ヲ以テ界シ、東方一帯内海ニ面ス
●幅員 東西凡三丁三十間、南北凡四十五間、面積欠ク
●管轄沿革 円満寺村誌ニ同シ
●里程 京都府庁ヨリ西北方本村元標ニ達スル凡廿四里廿三丁五十間余、宮津支庁ヨリ東南方凡六里、四隣東北喜多村ヘ九丁十間<実測>、南下福井村ヘ凡六町、舞鶴街ヘ凡廿五町三尺
●地勢 土地平坦、東南内海ニ臨ム、運輸便利薪炭乏シ
●地味 赤色下等質、稲・麦ニ宜シク桑・茶ニ可ナラス、水利不便ニシテ時々旱ニ苦シム
●税地 田<壱丁九反弐畝拾壱歩>、畑<八反五畝弐拾五歩>、宅地<弐反四歩>、総計<弐丁九反八畝拾歩、外鍬下弐反五畝歩>
●飛地 本村南方下福井村ノ内田<三反壱畝拾歩>、大繩畑<凡弐反歩>
●字地 片淵<村ノ南ニアリ、東西四丁、南北三十八間>、江尻<同上、東西三十三間、南北二丁二十七間>、建部<村ノ西ニアリ、東西三十間、南北二十間>、柿崎<村ノ北ニアリ、東西一丁二十間、南北三十間>
●貢租 地租<金弐拾壱円九銭五厘>、国税<金六拾銭>、総計<金弐拾壱円六拾九銭五厘>
●戸数 本籍六戸<平民>、社一戸<無格社>、総計七戸
●人数 男十六口<平民>、女九口<平民>、総計二十五口
●舟車 日本形船三艘<五拾石未満荷船>
●道路 村道<北方喜多村界ヨリ西南方同村界ニ至ル、長四丁五十四間、巾三尺五寸>
●社 稲荷社<社地東西二間半、南北二間、面積五坪、村ノ西南ニアリ、保食神ヲ祭ル、元喜多村宮嵜神社境内末社タリシヲ、嘉永四年辛亥三月此地ニ移シ祭ル、祭日欠>
●民業 男<農ヲ業トスルモノ六戸>、女<各夫業ニ従フ>