伊佐津村の年表

西暦和暦出来事
1756宝暦6年丙子316白鳥峠に詰めかけた百姓1800人と伊佐津村土手で合流、藩への要求内容を相談する その後、中筋・川口下組大庄屋宅に押し掛ける
1793寛政5年癸丑春、宣成、伊佐津村庄七妻さよ及び岡田由里村吉左衛門妻かんの孝養を賞して、鳥目を給する
1852嘉永5年壬子8藩、伊佐津川囲い堤手当普請人足2000人を郷中掛りに申しつける
1855安政2年乙卯42藩、伊佐津川普請入用につき郷人足1000人差し出すよう沙汰する
1864文久4年
(元治元年)甲子
4藩、伊佐津川普請御用人足、郷中へ1000人仰せつける
1902明治35年壬寅11相生橋(余内村字上安久、伊佐津川、長さ50間・幅20尺)架設
1908明治41年戊申325九枠橋(中筋村池内街道、伊佐津川)架設
1908明治41年戊申710高砂橋(舞鶴町、伊佐津川)架設
1918大正7年戊午425舞鶴製糸株式会社(中筋村字伊佐津)設立
1920大正9年庚申628郡是製紙(株)舞鶴工場(中筋村字伊佐津)操業開始
1921大正10年辛酉925豪雨(雨量217mm)、各河川はん濫、河守町30尺、岡田下村28.5尺、東雲村大川橋23尺(由良川)、中筋村伊佐津10尺(伊佐津川)それぞれ増水、郡道被害96か所、工費8万356円
1935昭和10年乙亥64二ツ橋(舞鶴町字大内、伊佐津川)竣工渡初式
1936昭和11年丙子1115大和橋(舞鶴町、伊佐津川下流)架替工事竣工渡初式
1939昭和14年己卯舞鶴海軍、海軍工廠艦材囲場用地(舞鶴市字上安久・円満寺の伊佐津川左岸・現西運動広場)買収
1946昭和21年丙戌41市立明倫実業青年学校、明倫実業専修学校(男子)・明倫実務女学校(女子)と改称し字伊佐津に移転
1952昭和27年壬辰66日東建設企業組合寄宿舎(字伊佐津)より出火、郡是舞鶴工場など11棟全焼
1955昭和30年乙未1119大韓民国京都府本部舞鶴支部建青寮(字伊佐津)焼失
1960昭和35年庚子3舞鶴淡水漁業協同組合、伊佐津川内水面漁業権取得

「舞鶴市史年表」より

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