現在の福知山市大江町天田内 (アマダウチ)。明治17年当時、戸数 98戸、社9戸、寺1戸、計108戸、人数 男210口、女195口、総計405口。
・出典 京都府地誌32~35加佐郡村誌1~4、京都府庁文書、京都府立京都学・歴彩館所蔵
村誌
丹後國加佐郡天田内(アマタウチ)村
本村古来ヨリ河守郷ニ属ス、前後分合変換ナシ
●疆域 東ハ同郡金屋村ニ隣シ舩岡川ヲ以テ界シ、西ハ蓼原村ト山嶺ヲ以テ界シ、南ハ河守町ト山或ハ耕地ヲ劃リ、北ハ二俣・橋谷ノ両村ニ隣シ山或ハ耕地ヲ以テ界ス
●幅員 東西二十町、南北十町余、面積欠ク
●管轄沿革 佛性寺村誌ニ同シ
●里程 京都府庁ヨリ西北方本村元標ニ達スル凡廿六里十五町、宮津支庁ヨリ東南方五里五町、四隣西橋谷村ヘ三十町二十八間<実測>、北二俣村ヘ七町五十八間<実測>、南河守町ヘ十六町、東金谷村ヘ凡九町五十間
●地勢 東西ニ延長シ南北ニ短窄ス、部内概山地ニシテ平坦ノ地ハ唯東部ノミ、運輸便利薪炭乏シカラス
●地味 其色黒、其質中等、稲・麦及菜蔬ニ適ス、平時水利ハ便ナルモ、夏秋ノ際渓水暴漲シ往々田畝ヲ害スルコトアリ
●税地 田<拾七丁九反七畝五歩>、畑<七丁八反六畝拾四歩>、宅地<弐丁壱反五畝五歩>、山<反別欠ク>、総計<廿七丁九反八畝廿四歩>
●字地 向山<村ノ西方ニアリ、東西七丁、南北一丁>、虫ノ倉<村ノ西北ニアリ、東西七丁、南北一丁>、權現尾<同上、東西二十丁、南北三丁>、三迫(サンサコ)<同上、東西七丁、南北二丁>
●貢租 地租<金三百四拾五円三拾三銭四厘>、山税<金七銭七厘>、国税<金拾壱円九拾八銭八厘>、総計<金三百五拾七円三拾九銭九厘>
●戸数 本籍九十八戸<平民>、社九戸<村社二座、無格座七座>、寺一戸<禅宗>、総計百八戸
●人数 男二百十口<平民>、女百九十五口<平民>、総計四百五口
●牛馬 牡牛三頭、牝牛十二頭、総計十五頭、牡馬五頭
●山 舩岡山<高十間余、周回凡十町、村ノ東方ニ孤立ス、山上豊受太神宮ヲ祭ルヲ以テ其名殊ニ著ル、樹木鬱葱タリ、登路二条、一ハ本村ヨリ東向シ上ル昇リ一町三十間、険ナリ、即太神宮ヘ詣スル道ナリ、一ハ本村南方字尾端ヨリ上ル昇リ二町三十間、易ナリ>
●川 舩岡川<東北方二俣村界ヨリ来リ、本村東境ヲ環流シ字宮川ニ至リ加瀬川ト合シ金屋村・河守町界ニ入ル、長二十五町、巾十二間、深一尺五寸、清ニシテ急>、加瀬川<西北方橋谷村界ヨリ来リ、屈曲南流シ字宮川ニ至リ舩岡川ト合水シ金屋村・河守町界ニ入ル、長二十町、巾十三間、深一尺三寸、清ニシテ急>、宮川橋<宮津道ニ属ス、架シテ村ノ東南方加瀬川下流ニアリ、橋長十三間、巾二間、木製>
●森林 舩岡山林<官ニ属ス、四履欠ク、反別二町三反歩、村ノ東ニアリ、長三間半囲三尺以下松一株、長四間半囲八尺以下杉百株、長三間半囲三尺以下檜六十株、長四間半囲八尺以下樫二百四十六株、長三間囲三尺槻一株、長三間囲三尺椎一株、長三間囲三尺雑木七株
●道路 宮津道<村ノ南方河守町飛地界ヨリ北方二俣村界ニ至、長二十六町十二間、巾二間、本村中央ヨリ右ニ折レ太神宮ニ詣ス、又同所ヨリ左ニ折レ橋谷村ニ通スル、両支道アリ>
●社 豊受大神宮<村社々地、東西二十間、南北三十九間、面積七十八坪、村ノ東方舩岡山ニアリ、豊受皇大神・保食命・天児屋根命ヲ祭ル、宮津府志曰、当社典内宮、是麿子親王之所勧請也、神社啓蒙等書、以当社為與謝宮者非也ト、祭日三月二十六日、境内老樹数株末社四十二座アリ>、愛宕神社<社地東西五間半、南北七間、面積三十九坪、村ノ正北字權現尾ニアリ、伊邪那美命ヲ祭ル、古来ノ沿革詳ナラス、下同シ、祭日七月二十四日>、二宮神社<村社々地、東西十二間、南北二十三間、面積七十六坪、村ノ中央ニアリ、道主命ヲ祭ル、祭日六月十五日>、稲荷神社<社地四履欠ク、面積二十坪、字三迫ニアリ、宇賀之御魂命ヲ祭ル、創建年代及ヒ由緒詳ナラス、以下同シ>、秋葉神社<社地東西五尺、南北五尺、面積欠ク、字權現尾ニアリ、火産霊神・水波能賣命ヲ祭ル>、掛戸神社<社地四履欠ク、面積一坪、字欠戸ニアリ、竈三柱神ヲ祭ル>、猿田彦神社<社地四履欠ク、面積一坪半、字權現ニアリ、猿田彦命ヲ祭ル>、虫倉神社<社地四履欠ク、面積二坪半、字虫倉ニアリ、大國主命・太田神ヲ合祀ス>、林神社<社地四履欠ク、面積一坪、字林ニアリ、太田神・大國主命ヲ祭ル>
●寺 常光寺<境内東西二十間、南北十四間、面積二百八十坪、禅宗、與謝郡宮津知源寺末、村ノ北方字欠戸ニアリ、明徳元年庚午三月、僧通幼開基、元ト丹波國永澤寺末派タリシヲ延宝三年乙卯、僧宗曇当寺ヲ中興セシヨリ、更ニ知源寺末派トナル
●物産 桑苗<高詳ナラス>、楮皮<四百貫目>、以上近傍各村ニ販売ス
●民業 男女皆農・桑ヲ業トス