現在の福知山市大江町二俣 (フタマタ)。明治17年当時、戸数 173戸、社7戸、寺1戸、計181戸、人数 男376口、女400口、総計776口。
・出典 京都府地誌32~35加佐郡村誌1~4、京都府庁文書、京都府立京都学・歴彩館所蔵
村誌
丹後國加佐郡二俣(フタマタ)村
本村古ヨリ河守郷ニ属ス、古来分合変換ナシ
●疆域 東ハ同郡三河・北有路・上野ノ三村ト字野部山ヲ以テ界シ、西ハ北原・橋谷ノ二村及ヒ天田郡天座村ト界シ、南ハ本郡天田内・金屋ノ両村ニ接シ、北ハ内宮村ニ隣シ、各山嶺ヲ以テ界ス
●幅員 東西一里余、南北十九町、面積欠ク
●管轄沿革 佛性寺村誌ニ同シ
●里程 京都府庁ヨリ西北方本村元標ニ達スル廿六里二十町、宮津支庁ヨリ南方凡四里半、四隣東高津江村ヘ一里二十四町二十間五分<実測>、西北原村ヘ一里十町、南天田内村ヘ七町五十八間<実測>、北内宮村ヘ十四町三間<実測>
●地勢 東西連山重畳シ二俣川村ノ中央ヲ貫通シ宮津道南ヨリ北ニ走ル、中部稍平坦、人家ハ多ク此所ニアリ、運輸便利薪炭乏シカラス
●地味 其色淡赤砂礫ヲ混ス、其質中等、稲・麦及ヒ菜蔬ニ適ス、水利ハ細流ノ多キヲ以テ灌漑ノ利極テ便ナリ、然トモ却テ水害ヲ蒙ムルコトアリ
●税地 田<四拾丁三反五畝九歩>、畑<拾九丁七反拾七歩>、宅地<三丁弐反弐畝三歩>、山<反別欠ク>、総計<六拾三丁弐反七畝廿九歩、外荒地七反六畝廿弐歩>
●字地 向山<村ノ東ニアリ、東西四丁、南北十三丁>、丁河原<村ノ南ニアリ、東西六丁、南北七丁>、寺谷<同上、東西五丁、南北五町>、馬谷<村ノ北ニアリ、東西五丁、南北九町>、河田<村ノ西南ニアリ、東西二十町余、南北九丁>
●貢租 地租<金七百七円三拾九銭八厘>、山税<金九円八拾銭八厘>、国税<金廿九円九拾四銭>、総計<金七百四拾七円拾四銭六厘>
●戸数 本籍百七十三戸<平民>、社七戸<村社一座、無格社六座>、寺一戸<禅宗>、総計百八十一戸
●人数 男三百七十六口<平民>、女四百口<平民>、総計七百七十六口
●牛馬 牡牛八頭、牝牛三十一頭、総計三十九頭、牝馬二頭
●山 闔境山岳多ケレトモ皆一帯山脈ニシテ特ニ表出スヘキナシ、因テ略ス
●川 二俣川<深二尺余、巾十二間、清ニシテ急、村ノ北方内宮村界ヨリ来リ南方金屋村界ニ入ル、長凡二十三町>、高橋<宮津往還ニ属ス、架シテ村ノ北方二俣川上流ニアリ、橋長十間、巾二間、木製>、馬谷溝<本村字馬谷ヨリ起リ、田三反余歩ノ養水ニ供シ下流二俣川ニ入、長三丁、巾一間>、社谷溝<本村字柱谷ヨリ起リ、田三反余歩ヲ養ヒ末二俣川ニ入ル、長三丁余、巾一間>、井ノ奥溝<本村字井ノ奥ヨリ発シ、田弐丁余歩ノ養水ニ供シ末二俣川ニ入ル、長四丁余、巾三尺>、奥ノ谷溝<本村字奥ノ谷ヨリ起リ、田八反余歩ヲ養ヒ末二俣川ニ入ル、長八丁、巾一間半>、河田谷溝<本村字河田谷ヨリ起リ、田四丁余ノ養水ニ供ス末二俣川ニ入ル、長二十五丁余、巾三間>、ミガクロ溝<本村字ミガクロ谷ヨリ起リ、田弐反余歩ヲ養ヒ末二俣川ニ入ル、長一丁三十五間、巾三尺>、清水溝<本村字清水谷ヨリ起リ、田六反余歩ヲ養ヒ末二俣川ニ入ル、長三丁、巾四尺>、中山溝<本村字中山谷ヨリ発シ、田六丁余歩ノ養水ニ供シ末二俣川ニ入ル、長八丁余、巾一間>、神社溝<本村字神社谷ヨリ起リ、田五反余歩ヲ養ヒ末二俣川ニ入ル、長四丁、巾五尺余>
●道路 宮津道<村ノ南方天田内村界ヨリ北方内宮村界ニ至ル、長十九丁二十間、巾二間、村ノ中央ヨリ東北ニ折レ高津江村ニ通スル支道アリ>
●社 八幡神社<村社々地、東西八間、南北十五間半、面積百六十八坪、村ノ南ニアリ、應神天皇ヲ祭ル、勧請年月詳ナラス、祭日八月十五日>、向山神社<社地四履欠ク、面積三十坪、本村字向山ニアリ、天御中主神ヲ祭ル、勧請年代祭日詳ナラス、下同シ>、稲荷神社<同上、面積同上、本村字トツサコニアリ、倉稲魂命ヲ祭ル>、猿田彦神社<同上、面積十五坪、本村字立會ニアリ、猿田彦大神ヲ祭ル>、愛宕神社<同上、面積三十坪、本村字井奥ニアリ、迦具土命ヲ祭ル、明治十六年癸未四月焼失ス>、岡神社<社地同上、面積廿坪、本村字岡ニアリ、祭神詳ナラス、同上焼失ス>、河田神社<同上、面積五坪、本村字河田ニアリ、祭神同上>
●寺 東禪寺<境内四履欠ク、面積百六十三坪、本村字仲村ニアリ、禅宗、本郡天田内村常光寺末、承応三年甲午、僧法孫開基ス>
●学校 人民共立小学校一所<村ノ南方ニアリ、生徒男五十五人、女六人>
●物産 紙<八百貫目>、丹波及ヒ但馬地方ニ輸出ス、楮皮<千四百貫目>、繭<八百貫目>、薪<五万三千貫目>、以上近邑ニ販売ス
●民業 男女僉農・桑ヲ業トス