尾藤村 郡村誌

 現在の福知山市大江町尾藤 (ビトウ)。明治17年当時、戸数 113戸、社8戸、寺1戸、総計122戸、人数 男282口、女261口、総計543口。

・出典 京都府地誌32~35加佐郡村誌1~4、京都府庁文書、京都府立京都学・歴彩館所蔵

      村誌

丹後國加佐郡尾藤(ヲフヂ)村

本村古来ヨリ河守郷ニ属ス、前後分合変換ナシ

●疆域  東ハ同郡南山村、西ハ常津村、南ハ南山村、北ハ千原村ト各耕地山岳ヲ以テ界ヲ限リ、西北ハ大雲川ヲ隔テヽ蓼原村ト相対ス

●幅員 東西二十一町四十間、南北十八町四十五間、面積欠ク

●管轄沿革 円満寺村誌ニ同シ

●里程 京都府庁ヨリ西北方本村元標ニ達スル凡廿四里余、宮津支庁ヨリ南方凡六里十町、四隣東丹波國何鹿郡西阪村ヘ一里三丁余、西本郡常津村ヘ十二丁十一間<実測>、南南山村ヘ一里廿丁七間<実測>、北千原村ヘ十六丁五十七間<実測>

●地勢 環境山岳連亘シ西北方僅ニ闢ケリ、大雲川其開豁ノ所ヲ通ス、運輸較便薪足リ炭乏シ

●地味 其色赤、其質中等、稲・麦ニ宜シク桑・藍モ較可ナリ、水利ハ不便ニシテ時々旱害アリ

●税地 田<三拾弐丁五反壱畝拾六歩>、畑<弐拾八丁九畝拾弐歩>、宅地<弐丁七反九畝弐拾七歩>、山<反別欠ク>、薮地<七反八畝七歩>、物干場<壱畝歩>、総計<六拾四丁弐反弐歩>

●飛地 本村東方南山村ノ内、畑<壱反弐畝拾三歩>、北方千原村ノ内、田<壱反拾八歩>、西方常津村ノ内、田<壱反九畝弐拾九歩>、畑<壱反壱畝九歩>

●字地 前田<村ノ東ニアリ、下同シ、東西二丁四十五間、南北五十四間>、安國(ヤスクニ)<東西六間、南北六丁三十二間>、奥清水<東西一丁二間、南北二丁六間>、中村<東西四十二間、南北一丁三十八間>、松風呂(マツブロ)<東西一丁二十六間、南北三十八間半>、オカ谷<東西二丁三十一間、南北八間>、餅ノベ<東西一丁十六間、南北四十一間>、大石<東西二丁十四間、南北一丁十九間>、大田(オホダ)<東西五十四間、南北三十二間>、畑ノ段<東西十九間、南北二丁十間>、六反坪<村ノ西ニアリ、下同シ、東西二十六間、南北一丁九間>、岩尾<東西一丁三十間、南北十五間>、丁田<東西五十間、南北四十八間>、風呂ノ谷<東西一丁三十一間、南北三十五間>、有本(アリモト)<東西五間、南北二丁二十七間>、高由里(タカユリ)<東西十七間、南北一丁十六間>、宮ノ段<東西一丁三十六間、南北五十五間>、中島<東西一丁六間、南北二丁四十五間>、大桑(ヲオクハ)<東西十七間、南北二丁三間>、三瀨(ミセ)<東西五十間、南北二丁二間>、脇<東西十八間、南北三十六間>、中道<東西三十間、南北二丁十二間>、舩戸<東西三十三間、南北二丁九間>、細畑(ホソバタケ)<東西四丁四間、南北十八間>

●貢租 地租<金七百四拾九円廿九銭壱厘>、山税<金壱円七拾七銭六厘>、国税<金拾七円八拾銭>、総計<金七百六拾八円八拾六銭七厘>

●戸数 本籍百十三戸<平民>、社八戸<村社二座、無格社六座>、寺一戸<禅宗>、総計百二十二戸

●人数 男二百八十二口<平民>、女二百六十一口<平民>、総計五百四十三口

●牛馬 牡牛十七頭、牝牛二十八頭、総計四十五頭

●舟車 日本形舩一艘<五十石未満荷舩>

●山 陣取(ヂンドリ)山<高周欠ク、村ノ西南ニアリ、嶺上ヨリ三分シ、西ハ常津村ニ属ス、南ハ南山村ニ属シ、東ハ本村ニ属ス、山脈東西諸山ニ連延ス、樹木踈生ス、登路一条、本村ノ西方字有本ヨリ登ル昇リ十六丁、険ナリ>

●川 大雲川<二等河ニ属ス、深所四尺、浅所一尺、巾平均四十六間、清ニシテ緩、舟筏日ニ通ス、村ノ西南方常津村界ヨリ来リ東北方千原村界ニ入ル、長九丁四十間>、尾藤川<村ノ東方南山村界ヨリ来リ、西流シ本村所々ノ細流ヲ合セ、字小川尻ニ至リ大雲川ニ入ル、長三十二丁三十間、巾四間三尺、深二尺、清ニシテ急>、一ノ瀬橋<村往還ニ属ス、架シテ村ノ東方尾藤川上流ニアリ、長三間、巾一間、土造>、前田橋<同上、架シテ村ノ東方尾藤川上流ニアリ、長三間、巾一間、土造>、觀音橋<同上、架シテ村ノ東方尾藤川ニアリ、長五間、巾八尺、土造>、大橋<同上、架シテ尾藤川ノ下流ニアリ、長五間、巾九尺、土造>、八重阪橋<同上、架シテ村ノ北方某溝ニアリ、長五間、巾五尺、土造>、安國溝<源ヲ本村ノ西方字陣取ヨリ発シ北流シテ尾藤川ニ入ル、長十二丁四十四間、巾三尺、田二丁六反五畝二十五歩ノ養水ニ供ス>、奥清水(ヲクシミツ)溝<源ヲ本村東方字赤ズリヨリ発シ南流シ尾藤川ニ入ル、長五丁五十五間、巾二尺、田若干歩ノ要水ヲ瀉下ス>、以下小溝ハ略ス

●森林 ヒシロ林<官ニ属ス、四履欠ク、反別三丁九畝八歩、村ノ南方字前田ニアリ、囲三尺長四間已下松三百三十七株、囲三尺長四間以下杉四百二十二株、囲三尺長四間以下檜百五十株>

●道路 舞鶴道<村ノ北方千原村界ヨリ南方常津村界ニ至ル、長七丁五十六間三尺、巾一間半>、丹波道<村ノ北方蓼原村界ヨリ東方南山村界ニ至ル、長三十二丁四十一間、巾六尺>

●堤塘 尾藤川堤<尾藤川ニ沿ヒ南北二提アリ、共ニ東方南山村界ヨリ本村字小川尻ニ至ル、南堤ノ長二十三丁三十四間、北堤ノ長十九丁三十四間、馬踏各三尺、堤敷各二間>

●社 八幡神社<村社々地、東西十二間、南北十五間、面積百八十坪、村ノ西ニアリ、誉田別尊ヲ祭ル、古来ノ沿革詳ナラス、下同シ、祭日八月十五日、境内末社二座アリ>、前田神社<村社々地、東西十一間、南北十三間、面積四十三坪、村ノ東ニアリ、祭神詳ナラス、境内末社一座アリ>、稲荷神社<社地東西五間、南北四間、面積二十坪、村ノ北ニアリ、倉稲魂命ヲ祭ル、祭日九月十八日>、愛宕神社<社地東西二間半、南北二間、面積七坪、村ノ中央ニアリ、伊邪那美神・火産霊神ヲ祭ル、祭日七月二十四日>、幸神社<社地東西二間半、南北二間、面積五坪、村ノ南方ニアリ、祭神詳ナラス、祭日九月一日>、前田神社<社地四履欠ク、面積七坪、村ノ西方ニアリ、祭神及ヒ創立年代詳ナラス>、八幡神社<社地四履欠ク、面積四坪八厘、村ノ西方ニアリ、誉田別命ヲ祭ル、創建年代不詳>、金峯神社<社地四履欠ク、面積四坪、村ノ西ニアリ、祭神及ヒ創立年紀共ニ詳ナラス>

●寺 常樂寺<境内東西十二間、南北十五間、面積百八十坪、村ノ中央ニアリ、禅宗、同郡北有路村光明寺末、宝永元年甲申八月、僧長流開基創立後衰頽セシヲ、天保九年戊戌、僧還郷中興ス>

●学校 人民共立小学校一所<村ノ西方字高由里ニアリ、生徒男四十七人、女五人>

●物産 繭<千四十貫目>、生糸<十四貫目>、藍<六百貫目>、以上河守町及與謝郡宮津市街ニ輸送ス

●民業 男<農・桑ヲ業トスル者九十八戸、農ニシテ商ヲ兼ル者十五戸>、女<農・桑ヲ業トスル者百八十人>

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