別所村 郡村誌

 現在の舞鶴市別所(ベッショ)。明治17年当時、戸数 67戸、社2戸、寺2戸、総計71戸、人数 男158口、女138口、総計296口。

・出典 京都府地誌32~35加佐郡村誌1~4、京都府庁文書、京都府立京都学・歴彩館所蔵

    村誌

丹後國加佐郡別所(ベツシヨ)村

本村古時大内郷ノ属ニシテ池ノ内谷ノ内タリ、古来変換ナシ

●疆域  東南ハ同郡白滝・岸谷ノ二村ト山嶺ヲ限リ、東北ハ上根・寺田ノ二村ニ接シ山林及ヒ池ノ内川ヲ以テ界シ、西南ハ布敷村ト耕地又ハ山嶺ヲ以テ界シ、北ハ今田村ト字青谷山ノ頂ヲ以テ界ス

●幅員 東西十九町三十五間、南北十三町三十七間半、面積欠ク

●管轄沿革 円満寺村誌ニ同シ

●里程 京都府庁ヨリ西北方本村元標ニ達スル凡二十三里、宮津支庁ヨリ東南方凡七里半、四隣東北白滝村ヘ三十四町二十五間、南布敷村ヘ五町五十六間<実測>、北上根村ヘ三十一町二十三間<実測>、舞鶴市街ヘ二里二町三十間

●地勢 東西ニ侈ニ南北ニ縮ス、東西両部山地ニ属シ、中部平衍人家此所ニアリ、運輸便利薪炭乏シカラス

●地味 黒色ニシテ少ク砂ヲ交エ其質中等、稲粱ニ宜シク桑モ亦可ナリ、水利便ナルモ時々水患アリ

●税地 田<拾九町五反五畝拾八歩>、畑<四町弐反九畝拾三歩>、宅地<弐町弐反五畝弐拾九歩>、山<反別欠ク>、総計<弐拾六町壱反壱畝歩、外荒地三町五畝拾五歩>

●字地 五郎<村ノ南ニアリ、東西三十七間半、南北一町二十七間半>、仲田<村ノ東南ニアリ、東西二町二十間、南北二町二間半>、大谷<村ノ東北ニアリ、東西二町五間、南北一町五十七間半>、横山<村ノ西南ニアリ、東西一町五十二間半、南北三町三十間>、以上著名ノ字ヲ挙ク余ハ略ス

●貢租 地租<金弐百九拾六円六銭八厘>、山税<金六円四拾四銭壱厘>、国税<金拾九円弐銭三厘>、総計<金三百弐拾壱円五拾三銭弐厘>

●戸数 本籍六十七戸<平民>、社二戸<無格社>、寺二戸<禅宗一宇、真言宗一宇>、総計七十一戸

●人数 男百五十八口<平民>、女百三十八口<平民>、総計二百九十六口

●牛馬 牝牛十三頭

●山 五郎山<高九十六丈、周回欠ク、村ノ南ニアリ、嶺上ヨリ二分シ、南ハ布敷村ニ属シ、北ハ本村ニ属ス、山脈東南方何鹿郡於与岐村弥仙山ニ連ル、全山皆榛莽ヲ生ス、登路一条、村ノ南方字五郎ヨリ上ル昇リ四町、険ナリ>、大空(オホソラ)山<高四十八丈、周回欠ク、村ノ南ニアリ、嶺上ヨリ二分シ、北面ハ今田村ニ属シ、南面ハ本村ニ属ス、山脈東北方三国山ニ亘ル、満山紫草ヲ生ス、登路一条、村ノ東北字上(カミ)路ヨリ上ル昇リ二町半、易ナリ>

●川 池ノ内川<深所四尺、浅所二尺、広所九間、狭所四間、水清流緩ナリ、村ノ東北白滝村界ヨリ来リ、本村北端ニ至リ上根川ヲ容レ、更ニ南流シテ布敷村界ニ入ル、長二十一町十九間>、家下橋<村往還ニ属ス、架シテ村ノ中央池ノ内川下流ニアリ、橋長十間、巾一尺五寸>、棚田橋<同上、架シテ村ノ東北池ノ内川ニアリ、本村ヨリ寺田村ニ通ス、橋長五間、巾一尺五寸、共ニ木製ナリ>

●道路 村道<村ノ東北方白滝村界ヨリ来リ、本村字高由里ニ至リ、上根・寺田ノ二村領ヲ過キ、再ヒ本村字大谷ニ至リ、南方布敷村界ニ至ル、長二十二町三十六間、巾一間、村ノ中央ヨリ東北ニ折レ上根村ヘ通スル支道アリ>

●堤塘 池ノ内川堤<池ノ内川ニ沿ヒ東西二堤アリ、東堤ハ村道ヲ兼ヌ、共ニ村ノ北方字井上ヨリ起リ南方字横山ニ至ル、東堤長十三町五十二間半、西堤長八町二十間、馬踏各一間、堤敷各二間、修繕費用官民両途ニ属ス>

●社 大空(オホソラ)神社<社地東西十間、南北六間、面積六十坪、村ノ北ニアリ、織比賣神ヲ祭ル、勧請年代詳ナラス、以下同シ、祭日陰暦六月十三日、境内末社十一座及ヒ老樹多シ>、三柱神社<社地東西六間、南北五間、面積三十坪、村ノ西北ニアリ、火産霊神・興津比古神・興津比賣神ヲ祭ル、祭日陰暦六月十四日、境内末社一座及ヒ老樹アリ>

●寺 髙福寺<境内東西二十四間五分、南北二十五間、面積六百十二坪、村ノ西南ニアリ、禅宗、舞鶴桂林寺末、慶長十五年庚戌、僧需源開基創建、其後衰頽セシヲ延享二年乙丑、僧圭室中興シ、寛延元年戊辰八月、僧法幢再興ス>、安養寺<境内東西十六間、南北十三間、面積二百十二坪、村ノ西ニアリ、真言宗、舞鶴智恩院末、元禄五年壬戌、僧俊英開基創立ス>

●学校 人民共立小学校一所<村ノ稍西ニアリ、生徒男七十一人、女三十二人、明治十二年廃ス>

●物産 桐実<七十石>、櫨実<五百貫目>、以上舞鶴市街ニ輸出ス

●民業 男女共ニ農ヲ業トス

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