北有路村 郡村誌

 現在の福知山市大江町北有路(キタアリジ)。明治17年当時、戸数 163戸、社6戸、寺1戸、総計170戸、人数 男385口、女353口、総計738口。

・出典 京都府地誌32~35加佐郡村誌1~4、京都府庁文書、京都府立京都学・歴彩館所蔵

      村誌

丹後國加佐郡北有路(キタアリチ)村

本村古時有道郷ニ属ス、然トモ此郷名今全ク湮滅シテ存セス、近古ヨリ河守荘ニ属セシモノヽ如シ、其村名ノ起因ハ何レノ時ニアルヤ得テ考フ可カラスト雖、古昔有道郷ノ名アルヲ按ズレバ有道・有路、音相通スルヲ以テ中古村名トナセシモノ歟、他ニ考証ス可キナシ

●疆域  東南二方ハ大雲川中央ヲ以テ同郡南有路村・二箇村ニ界シ、西ハ上野村・波美村ノ耕地又ハ岡陵ヲ以テ界シ、北ハ矢部ヶ嶽ヲ以テ三河村ニ界シ、西北隅ハ山嶺ヲ以テ僅ニ二俣村ニ接続ス

●幅員 東西二十五町二十間、南北三十二町四十間、面積欠ク

●管轄沿革 円満寺村誌ニ同シ

●里程 京都府庁ヨリ西北方本村元標ニ達スル二十五里三十一町四十六間四分、宮津支庁ヨリ南方六里十五町、四隣西南波美村ヘ十七町一間、南南有路村ヘ五町五十七間、東二箇村ヘ十三町五十七間六分、東北方三河村ヘ三十四町四十二間<実測>

●地勢 北方山岳重沓シ東南大雲川ニ臨ム、其河畔ハ田圃大ニ闢ケタリ、運輸便利薪炭乏シ

●地味 赤黒色錯雑ス、其質上等、稲・粱・桑・茶ニ宜シ、水利ハ概便ナレトモ霖雨ノ際ハ河水暴漲シ、大ニ田圃ヲ害スルコトアリ

●税地 田<四拾九丁壱反歩>、畑<四拾八丁八反六畝拾七歩>、宅地<五丁七反弐畝拾七歩>、山<反別欠ク>、薮地<四丁八反七畝拾壱歩>、沼<弐反九畝拾歩>、総計<百八丁八反五畝弐拾五歩、外荒地弐反歩>

●字地 阿良須<本村西方ニアリ、東西一丁三十二間、南北八丁>、堂本<阿良須ノ東ニアリ、東西四丁三十間、南北二丁五十間>、三ヶ村<堂本ノ東ニアリ、東西二丁三十六間、南北七丁四十間>、五ヶ市<本村ノ東ニアリ、東西四丁、南北十三丁>

●貢租 地租<金千百八拾九円四拾六銭弐厘>、山税<金壱円四拾壱円五厘>、国税<金五拾四円五拾四銭六厘>、府税<金六円五拾五銭弐厘>、総計<金千弐百五拾壱円九拾七銭五厘>

●戸数 本籍百六十三戸<平民>、社六戸<村社一座、無格社五座>、寺一戸<禅宗>、総計百七十戸

●人数 男三百八十五口<平民>、女三百五十三口<平民>、総計七百三十八口

●牛馬 牡牛二十七頭、牝牛三十三頭、総計六十頭

●舟車 日本形舩十八艘<五十石未満荷舩>

●山 矢部ヶ嶽<高七十八丈余、周回欠ク、村ノ西隅ニアリ、嶺上ヨリ三分シ、西ハ上野村ニ属シ、北ハ二俣村ニ属シ、東南ハ本村ニ属ス、山脈西北方大江山ニ連亘ス、樹木生セス、満山皆柴茅ヲ見ル、登路数条アリ、一ハ本村字五ヶ市ヨリ上ル昇リ二十六丁、易ナリ、余ハ小径ナレハ欠ク>、十倉山<高四十八丈、周回欠ク、村ノ西北ニアリ、全山本村ニ属ス、樹木繁茂ス、登路一条、本村西方字阿良須ヨリ上ル昇リ五丁余>

●川 大雲川<二等河ニ属ス、深所二丈、浅所三尺、広所一丁六間余、狭所三十四間余、本村西南波美村界ヨリ来リ、本村東南境ヲ廻流シ遂ニ東北方三河村界ニ入ル、長三十九丁十三間、清ニシテ緩、舟筏通ス>、宮川<源ヲ本村西北方矢部ヶ嶽ノ山麓ヨリ発シ、曲流シテ東南ニ起キ、字稗田ニ至リ大雲川ニ入ル、長二十町余、平時涓流ナレトモ、霖雨ノ際暴漲ス>、宮川橋<舞鶴道ニ属ス、架シテ村ノ東北宮川下流ニアリ、長二間、巾一間半>、深田溝<本村字五ヶ市池ヨリ分流シ田ニ入ル、長十四丁四十七間、巾三尺、田若干歩ノ用水ニ供シ、下流大雲川ニ入ル、下同シ>、五ヶ市溝<字五ヶ市池ヨリ流出シ田ニ入ル、長九丁四十四間、巾三尺、田若干歩ノ用水ニ供シ、大雲川ニ入ル、已下小溝ハ欠ク>

●森林 地藏山林<官ニ属ス、四履欠ク、反別壱町六畝歩、村ノ東北ニアリ、長一間半囲一尺以下雑木千百株>

●湖沼 元田池<東西七間半、南北五間、周回欠ク、下同シ、村ノ北ニアリ、下同シ、本村ノ田若干歩ノ用水トス、下同シ>、五ヶ市池<東西四間、南北十二間>、尾後池<東西二十三間、南北五十七間、村ノ東北ニアリ、下同シ>、井ノ奥池<東西四十間、南北八十五間>、梅谷池<東西四間、南北六間、村ノ西北ニアリ>、深田池<東西四十三間、南北一丁二間、村ノ西ニアリ、下同シ>、太良池<東西二十間、南北二十三間>、河原沼<四履欠ク、周回三十間五尺、村ノ西南ニアリ>、沖ノ沼<四履欠ク、周回十二間九尺、村ノ東北方ニアリ>

●道路 舞鶴道<村ノ西南方上野・波美両村界ヨリ東南方大雲川津頭ニ至ル、長二十七丁四十五間八分、本村字五ヶ市ヨリ左ニ折レ三河村ニ通ス、又本村元標字堂本ヨリ右ニ折レ南有路村ニ通スル、両支道アリ>

●堤塘 大雲川堤<大雲川ニ沿ヒ、村ノ西南方波美村界ヨリ東北方三河村界ニ至ル、長三十九丁十三間、馬踏平均三間六分、水量定杭長四丈四尺、修繕費用ハ官民両途ニ属ス>、宮川堤<宮川ニ沿ヒ、本村字宮ノ腰ヨリ字稗田ニ至ル、長五丁十間七分、馬踏五尺四寸、堤数欠ク、修繕費用ハ官民両途ニ属ス>

●社 阿良須神社<式内、村社々地、東西三十九間、南北二十九間、面積千百五十四坪、村ノ西方字阿良須街道ノ傍ニアリ、神吾田津姫命ヲ祭ル、風土記有道郷条下ニ云、有神祠云蟻巣(アリス)、今云阿良須者、訛矣ト、境内老杉森鬱タリ、祭日十月二十四日、境内末社四座アリ>、十倉神社<社地東西十九間、南北二十三間、面積四百十九坪、村ノ東字五ヶ市ニアリ、神吾田津姫命ヲ祭ル、由緒詳ナラス、下同シ、祭日十月二十四日、境内末社二座アリ、明治十五年五月十二日、村社ニ列セラル>、八幡神社<社地東西二十三間、南北二十五間、面積百七十六坪、村ノ東端ニアリ、誉田別命ヲ祭ル、祭日十月一日>、白山神社<社地東西六間、南北五間、面積三十五坪、本村字三ヶ村ニアリ、祭神詳ナラス、祭日八月二日>、愛宕神社<社地東西七間、南北六間、面積四十坪、本村字堂本ニアリ、伊邪那美命・火産霊神ヲ祭ル、祭日八月十三日>、常盤神社<社地東西五間、南北四間、面積三十坪、本村字堂本ニアリ、寛文十一年辛亥創建、天御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神ヲ祭ル、祭日四月十九日>

●寺 光明寺<境内東西二十三間、南北二十五間、面積五百七十五坪、禅宗、丹波國天田郡福知山久昌寺末、本村字三ヶ村ニアリ、明暦三年丁酉四月、僧智外開基創立ス、其後衰頽セシヲ、寛文十二年壬子三月、僧實岩中興ス>

●学校 人民共立小学校一所<村ノ中央ニアリ、生徒男二十八人、女七人>

●古跡 古城墟<村ノ北方字中屋敷ニアリ、四履詳ナラス、伝云、一色氏ノ臣山名與九郎ノ城ナリト>

●物産 繭<八千六百八十斤>、近村ニ販売ス、楮皮<一万四千貫目>、藍<一万九千斤>、若狭國小濵及高濵村ニ輸送ス、生糸<百四十八斤>、與謝郡宮津ニ販売ス、菜種<十二石>、近村ニ販売ス

●民業 男<農ヲ業トスル者百五十三戸、商ヲ業トスル者十戸>、女<農ヲ業トシ養蚕・製糸ヲ兼ヌルモノ百五十人>

関連する歴史の人物

関連する人物はいません。