『倉梯村史』とは

 倉梯村は、明治22年(1889)の町村制により、北吸・浜・森・行永・多門院・堂奥・溝尻の7村が合併し成立した。明治39年には、北吸・浜・溝尻と、森・行永の一部は新舞鶴町となり、昭和13年(1938)には、 新舞鶴町・中舞鶴町・与保呂村・志楽村と合併して東舞鶴市となった。近代50年間存在した、郷名に由来する村である。

 倉梯村の歴史や現況をまとめた『倉梯村史』は、昭和7年12月、小学校の旧校舎にあった村役場の新築を記念して作られた。当時、倉梯尋常高等小学校の校長であった坂本蜜之助が、昭和8年2月に発行している。内容は以下の通り12篇に区分されている。

1沿革篇、2教育篇、3社寺篇、4古城篇、5池沼篇、6河川篇、7道路篇、8産業篇、9人物篇、10伝説概要、11古文書、12参考

 特に1沿革篇は、古代から近代までの歴史の他、以下の内容が記され、全体91頁の内47頁と半分以上を占めている。

年中行事、(1)戸口調、(2)藩政以来の地方職制、(3)村職氏名、(4)村経費決算高、(5)村内官衙公署、(6)村内金石文一覧、(7)寛政六年-百三十九年前-よりの米組相場 堂奥西村氏蔵

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