丹波上林・君尾山と丹後祖母谷組の山林資源と利用

 近世丹波国何鹿郡上林と丹後国加佐郡祖母谷組は、国境沿いに隣接しており、山林資源をめぐり利用、争論など多様な関係を築いた。大庄屋木船衛門家文書には、「大庄屋役前他国掛合状」として袋にまとめられた①天保12年小浜大手橋の材木輸送、②天保4年上林水梨・一ノ瀬・辻村と祖母谷組常・木下村の肥草争論文書がある。その背景と考えられる田辺藩の文化・天保期の山林資源に対する政策・規制について概観した。19世紀前期は、山林資源の利用・確保・管理が変化する時期であったといえる。また、当時重要な換金作物であった桐実生産による領内山林利用の変化=他村・他領への侵入が、上林との争論の背景にあったと指摘できる。

出典:京都府立大学文化遺産叢書20『綾部地域における文化資源の発掘と継承 ―君尾山光明寺文化財調査報告Ⅰ―』82-86頁、2021

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