田と畑(山畠含む)の高の総合計である。
これは「井料」「新溝敷」「川欠」などの控除を差し引いた分であるが、ここからさらに同様の「定引」が控除されて毛付高となり、免を乗じて年貢となる。当然ながら水田が優位で広い田をもつ行永村(1148石)、森村(742石)が多く、志高村(754石)、北有路村(747石)の村高も多い。
これらの村高は慶長7年(1602)の検地と一致する村も多いので、その後の農業技術の進歩による実収量を表わしていないことには注意が必要である。
しかしこの村高の数値は、各村の豊かさを示す指標として、幕末になっても村や藩の共通認識となっていた。