木船家とは~溝尻村の村役人「木船衛門」~

木船家は、江戸時代に丹後国加佐郡(現舞鶴市)に所在した田辺藩領内の溝尻村に居住し、大庄屋という村役人を勤めた家でした。大庄屋の当主は代々「木船衛門」を名乗りました。

安政5年(1858)「高名寄帳」(木船家文書箱14-935)によると持高は53.212石でした。この「石」という単位は、農業生産力を米の量に換算して表示したものです。「木船衛門」が大庄屋として統括した祖母谷組は11ヶ村からなりますが、江戸時代後期の祖母谷組には木船家を含め3つの家しか50石以上の家がなかったので(木船家文書箱14-346)、木船家はその中でもかなり裕福な家であったと推測できます。

では木船家の人々の仕事はどのようなものだったのでしょうか。これは現在まで残された「木船家文書」によって知ることができるでしょう。「木船家文書」は江戸時代後期から近代にかけての文書で、京都府立丹後郷土史料館が所蔵、現在は舞鶴市郷土史料館に一部寄託されています。舞鶴市・舞鶴地方史研究会に加え京都府立大学文化情報学研究室が共同で調査を進めています。

安政期までの歴任の大庄屋が分かる「大庄屋名前記録」(木船家文書箱14-945)から、まず木船惣衛門が文化3年(1806)4月13日~同9年10月に大庄屋を務めていた記録が出てきます。その退任後、溝尻村の庄屋となり、3年後の文化12年10月~天保3年(1832)11月に同人は再び大庄屋を務めます。

その後、天保3年11月26日~安政2年(1855)7月9日にその子どもの木船藤衛門が、そして安政2年7月9日~(慶應元年までか)にその子木船衛助が大庄屋を務めたことが分かります。衛助の退任時期は「大庄屋名前記録」に掲載されておらず不明ですが、木船家は3代にわたって大庄屋を勤めたのでした。 

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