河原村の年表

西暦和暦出来事
1716正徳6年
(享保元年)丙申
このころ(享保期初頭)、藩、由良川水運につき、登り荷および下り荷を二ヶ村河原にて船継ぎとし、これより川上での登り荷運漕権を南有路・北有路村に与える また、他領の下り船の船継ぎ場通過を禁止する
1737元文2年丁巳9これより先、(南北)有路村高瀬船持、由良・神崎村川船積荷の船継ぎにつき藩へ訴える 川口上組・同下組大庄屋の取扱いにより双方和談、登り荷は残らず二ヶ村河原にて有路高瀬船が積み請けること、由良・神崎の塩荷船は福知山まで積み登りうること、船継ぎ場での下り荷の3分の2は由良・神崎船、3分の1は有路船が積み請けることなどの1札を取り交わす
1836天保7年丙申 ○春、若狭国三方郡河原市村(現三方郡美浜町河原市)の百姓伊藤正作、田辺藩内の稲作が年々成果をあげているのを聞き、当地を訪れて優れた農耕方法を学ぶ
1837天保8年丁酉7若狭国河原市村百姓伊藤正作、田辺藩の優れた農耕方法を和歌につづった「一粒万倍 耕作早指南種稽歌」を著す(写真29)
1839天保10年己亥7若狭国河原市村百姓伊藤正作、田辺藩の進歩した農業の紹介書「農業蒙訓」を著す(翌年刊行)
1913大正2年癸丑10岡田中村「忠魂碑」(字河原)建立
「舞鶴市史年表」より

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