1779 | 安永8年己亥 | | | 藩、嶋崎および水無月神社から喜多村南谷、渕崎からイヲンボ・砥石崎・鼬崎・匂崎へ向けて、「火矢打」の稽古を行う |
1846 | 弘化3年丙午 | | | 藩、嶋崎および水無月神社から喜多村南谷、渕崎からイヲンボ・砥石崎・鼬崎・匂崎へ向けて、「火矢打」の稽古を行う |
1846 | 弘化3年丙午 | | | ○由良村出身の蘭方医新宮涼庭、喜多村の建部地先において海面を埋め立て、新田開発に着手する 文久元年2町4反余りの耕地造成、その地名は「新宮」と名付けられる |
1894 | 明治27年甲午 | 9 | 26 | 四所村字新宮を廃し同村大字喜多及び同下福井に分属 |
1931 | 昭和6年辛未 | 2 | | 四所村字喜多、区民の節約協定書を定める |
1936 | 昭和11年丙子 | 11 | | 舞鶴町、日出紡織株式会社(のち大和紡績(株))人絹工場誘致用地(舞鶴町字喜多)埋立工事着工 |
1938 | 昭和13年戊寅 | 3 | 4 | 日出紡織(株)舞鶴第1工場(舞鶴町字喜多)操業開始 |
1941 | 昭和16年辛巳 | 4 | 1 | 日出紡織(株)、企業統合により大和紡績株式会社となり、喜多工場を舞鶴人絹工場、高野工場を舞鶴第二工場と改称 |
1942 | 昭和17年壬午 | 8 | 1 | 舞鶴海軍工廠、大和紡績(株)舞鶴人絹工場を借り上げ同廠喜多工場とし木造船を製造する |
1944 | 昭和19年甲申 | 11 | | 舞鶴第一中学校4年生、舞鶴海軍工廠造船部喜多分工場へ勤労動員学徒として出動 |