西暦 | 和暦 | 月 | 日 | 出来事 |
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1580 | 天正8年庚辰 | 8 | 22 | 信長、藤孝・光秀よりの、野心を抱き伺候しない吉原西雲(元峰山城主)を討ち果した旨の注進に、承知した由を伝えるとともに万時油断なく措置するよう申しつける |
1677 | 延宝5年丁巳 | 11 | 24 | 田辺吉原町火事 家数130軒余り焼失する |
1711 | 宝永8年 (正徳元年)辛卯 | 3 | 29 | 英成、朝鮮通信使の東海道吉原宿馳走役を仰せつけられる |
1728 | 享保13年戊申 | ○猟師町(東吉原・西吉原)、下安久村築地新畑・塩屋敷跡に移転する 現吉原町東側へ西吉原、西側へ東吉原が定住 | ||
1739 | 元文4年己未 | 9 | 藩、竹屋・平野屋・吉原町に課す役船高を、役船100艘・船役家43軒と定める | |
1750 | 寛延3年庚午 | 3 | 5 | 東吉原町、夜8ツ時出火、丹波町尻・魚屋町尻92軒類焼する |
1783 | 天明3年癸卯 | 冷害厳しく大凶作 その上、不漁で吉原町から難儀人多く出る 7~9月ごろ、銭100文に米1升売買 | ||
1788 | 天明8年戊申 | 9 | 1 | 田辺吉原町大火 夜9ツ半時より明6ツ時まで、町全焼、およそ竃270軒・棟数800軒ほど焼失する |
1802 | 享和2年壬戌 | 宣成、石浦村福松、八田村惣右衛門・さよ夫婦、東吉原町甚六のそれぞれ孝養を賞して、鳥目を給する | ||
1805 | 文化2年乙丑 | 9 | 21 | 吉原町大火 下は水無月まで焼失する |
1832 | 天保3年壬辰 | 2 | 8 | 西吉原町小舟より出火、暁7ツ前より朝まで家44軒・舟小屋6軒類焼する |
1837 | 天保8年丁酉 | 藩、吉原町・竹屋町・平野屋町・丹波町・魚屋町の魚問屋・魚仲買・魚商いに対して、売上銀高の100分の1を非常用手当として徴収する旨達する | ||
1843 | 天保14年癸卯 | 4 | 藩、当領分へ異国船渡来の節は防備人数を差し向ける間、異国船を見れば急便で郡役所に申し出ること、由良・神崎村、吉原猟船、町方船乗りの者は常々心をつけ、老人嶋沖にて見慣れぬ船を見受ければ、早速漕ぎ戻り郡役所へ申し出ること、その他を達する | |
1852 | 嘉永5年壬子 | 9 | 24 | 藩、内海の浜辺にて蛸取り多く吉原町魚漁稼ぎに差し支え難渋の趣につき、海辺地先村々は格別、脇村の者は蛸取りに出る儀相成らずと達する |
1866 | 慶応2年丙寅 | 8 | 4 | 藩、由良村・神崎村・大浦辺・吉原町漁船・町方船乗りに対し、当今不容易の風聞につき海上へ罷り出る節は心をつけ、小船たりとも見慣れぬ軍艦・蒸気船を見受ければ、早速漕ぎ戻り郡役所へ申し出るよう達する |
1867 | 慶応3年丁卯 | 4 | 18 | 藩、先般解兵仰せ出されるにつき、慶応元・5申達の儀に及ばず、ただし、胡乱な者潜入の儀も計り難いにつき、他所者止宿の儀は慶応2・7申達通り相心得、両吉原町そのほか船乗りの者は海上見慣れない船見受ければ注進の旨の慶應2・8申達通り堅く相守り申すべきことを達する |
1875 | 明治8年乙亥 | 7 | 18 | 東吉原町に吉原魚会社開業(資本金4千円) |
1875 | 明治8年乙亥 | この年設立された学校 八田校(八田)・静渓校(東吉原)・原校(河辺原村本源寺)・久田美校(久田美村真下助左衛門宅)・青井校(青井村青龍寺)・大丹生校(大丹生村洞春庵) | ||
1883 | 明治16年癸未 | 2 | 共立魚会社、東吉原町に設立(資本金6000円)、魚問屋業務を開始 | |
1903 | 明治36年癸卯 | 2 | 19 | 吉原漁業組合設立 |
1906 | 明治39年丙午 | 2 | 吉原水産合資会社設立 | |
1907 | 明治40年丁未 | 10 | 18 | 吉原購買組合(舞鶴町東字吉原)設立認可 |
1908 | 明治41年戊申 | 4 | 1 | 静渓小学校を吉原尋常小学校と改称 |
1909 | 明治42年己酉 | 5 | 31 | 舞鶴町字西吉原で大火、住宅101戸、付属建物・舟小屋等200余棟焼失 |
1909 | 明治42年己酉 | 8 | 5 | 吉原信用組合(舞鶴町字東吉原)設立認可 |
1917 | 大正6年丁巳 | 10 | 吉原尋常小学校附設舞鶴町立水産補習学校設立 | |
1938 | 昭和13年戊寅 | 3 | 13 | 満蒙開拓青少年義勇軍について講話実施(吉原校) |
1943 | 昭和18年癸未 | 5 | 市営水道、舞鶴港第二埠頭及び吉原地区の一部へ仮給水実施 | |
1944 | 昭和19年甲申 | 7 | 28 | 吉原国民学校、トンネル式防空壕竣工 |
1945 | 昭和20年乙酉 | 3 | 9 | 府、新舞鶴・三笠・倉梯・中舞鶴・明倫・吉原・余内・中筋国民学校児童の学童疎開を指示 |
1945 | 昭和20年乙酉 | 4 | 5 | 市学童集団疎開出発(三笠・倉梯・吉原・中筋国民学校) |
1946 | 昭和21年丙戌 | 3 | 吉原青年団再建し活動開始 |
吉原町の年表
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