桑飼下村の年表

西暦和暦出来事
BC2000年ころ縄文後期桑飼下遺跡=炉跡48基検出(集落)、縄文土器(中津式・福田KⅡ式・桑飼下式・一乗寺Ⅰ式)・石器出土(’73発掘調査、以下同遺跡は同年調査)
AD100年ころ弥生後期桑飼下遺跡
400年ころ古墳中期桑飼下遺跡=竪穴式住居跡1基(5世紀初頭)検出、鉄器・土師器出土
500年ころ古墳後期桑飼下遺跡=竪穴式住居跡1基(7世紀代)検出、鉄器・土師器・須恵器・装身具出土
1564永禄7年甲子414字桑飼下の五輪塔に「芳林宗春禅定尼」の陰刻がある
1715正徳5年乙未6大川・久田美・桑飼下・由里・桑飼上村庄屋および志高村年寄、由良川・加古川直通舟運の開発により、道広げ普請のための田畑潰れ、川除けのための川端の藪・桑伐払い、船引人足雇いのための耕作妨げ、鮭簗立ての停止、船会所・蔵敷地の皆無など、村々の支障を大坂町奉行(カ)に訴える
1802享和2年壬戌10宣成、桑飼下村安四郎妻かる及び中山村与兵衛妻そよの孝貞を称誉する
1937昭和12年丁丑218上水道工事揚水上(岡田上村字桑飼下)起工式(舞鶴町・日出紡織(株)共同経営)
「舞鶴市史年表」より

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