桑飼上村の年表

西暦和暦出来事
BC100年ころ弥生中期桑飼上遺跡=方形周溝墓2基検出、弥生土器・管玉出土(’87・7~’91・2発掘調査、以下同遺跡は同年月調査)
AD100年ころ弥生後期桑飼上遺跡=竪穴式住居跡4基検出、弥生土器・ガラス玉・管玉出土
弥生時期未確定桑飼上遺跡=竪穴式住居11基検出、弥生土器・石器出土
300年ころ古墳前期桑飼上遺跡=竪穴式住居跡3基検出、土器出土
1715正徳5年乙未6大川・久田美・桑飼下・由里・桑飼上村庄屋および志高村年寄、由良川・加古川直通舟運の開発により、道広げ普請のための田畑潰れ、川除けのための川端の藪・桑伐払い、船引人足雇いのための耕作妨げ、鮭簗立ての停止、船会所・蔵敷地の皆無など、村々の支障を大坂町奉行(カ)に訴える
1726享保11年丙午311桑飼上村にて3・17まで午市
1738元文3年戊午823藩家老野成見分 この日、桑飼上村泊り
1810文化7年庚午12藩、畿内・中国辺の農業を見聞させた桑飼上村四郎右衛門および野村寺村新左衛門に、巡在を申しつけて利得な作り方を知らせるので、各村百姓は庄屋宅へ集まり聞くよう達する
1811文化8年辛未10藩、桑飼上村四郎右衛門・野村寺村新左衛門に、村々の山ずいぬけ箇所を見回らせ、村役人と砂止め策を掛け合わす
1814文化11年甲戌9藩、桑飼上村四郎右衛門を「耕作懸り」に任命する
1873明治6年癸酉この年設立された学校
明倫校(北田辺町明倫館跡)・中山校(中山村祥雲寺)・順正校(七日市村西光寺)・志高校(志高村宏玄寺観音堂)・神崎校(西神崎村永春寺)・共立校(西方寺村上野弥太郎宅)・漆原校(上漆原村天然寺)・行永校(行永村怡雲庵)・福井黌(下福井村)・立敬舎(倉谷村心学道場立敬舎跡)・横山校(今田村倭文神社舞堂及び別所村安養寺跡)・登尾校(登尾村椿長九郎持家)・大波校(大波上村沖安重右衛門持家)・遵法校(泉源寺村智性院)・含章校(鹿原村荒神籠堂)・陽明校(城屋村)・鸕渓校(桑飼上村荘厳寺)
1874明治7年甲戌12桑飼上郵便局を設立
1898明治31年戊戌岡田上村、学区改革し西尋常小学校(字大俣)・東尋常小学校(字桑飼上)設立
「舞鶴市史年表」より

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