紺屋町の年表

西暦和暦出来事
1401応永8年辛巳竺翁雄仙、桂林寺(字紺屋)の前身洞林寺を開く
1746延享3年丙寅220田辺紺屋町・引土新町火事 紺屋町37軒・引土新町22軒焼失する
1842天保13年壬寅1220藩、公儀改革につき諸株・問屋・仲間・組合の儀は停止仰せ出されるにより、当藩においても前々より御免の諸職・諸商売株、免札、その他残らず、この度解き払いに申しつけること、在方にても大工・桶屋・紺屋・油屋・鍛冶・石屋・瓦師も同様申しつけることを達する(史料)
1858安政5年戊午5藩、桐実粕の灰は紺屋向きに相用い晒しなどに至極宜しい趣につき、この度、山根伊右衛門へ右灰焼き方を仰せつけると達する
1896明治29年丙申9憲兵屯所(舞鶴町字紺屋)設置
1902明治35年壬寅105加佐郡「忠魂碑」(舞鶴町字紺屋神明山)除幕式
1926大正15年
(昭和元年)丙寅
4舞鶴研修学院(舞鶴町字紺屋、桂林寺)設立
1926大正15年
(昭和元年)丙寅
4舞鶴研修学院(舞鶴町字紺屋、桂林寺)設立
1948昭和23年戊子314桂林寺(字紺屋)、3棟(方丈・庫裏・倉庫)全焼
「舞鶴市史年表」より

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