西暦 | 和暦 | 月 | 日 | 出来事 |
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1754 | 宝暦4年甲戌 | 7 | 藩、真倉番所定めを出す | |
1813 | 文化10年癸酉 | 9 | 藩、当9月~来年夏、城下近遠、東は榎峠・城取峠、南は布敷村滝・真倉村壱里塚、西は城屋村氏神社・真壁峠・大船峠・竹路峠、北は金崎・丑渡シを限り、川上は滝ヶ宇呂・千原村より下々川筋を、鉄砲鳥殺生札所持の者たりとも留場とする旨達する | |
1852 | 嘉永5年壬子 | 閏2 | 16 | 藩、真倉村街道普請入用につき、東西村々に人足700人を差し出すよう達する |
1865 | 元治2年 (慶応元年)乙丑 | 1 | 藩、藩主内室厄年につき功徳の思召をもって道普請の儀心願あらせられ、御手元近御下げに相成り取調べ仰せつけられるにつき、京街道筋は格別に通行も多い場所のところ、山崎より真倉村までの往還筋が便利の悪い道ゆえ取開き致すことになった旨を達し、右思召を村役人並びに頭立つ者より申し聞かすよう令する | |
1865 | 元治2年 (慶応元年)乙丑 | 11 | 藩、公儀より往来人改め厳重に致すべき旨仰せ出されるにつき、取りあえず京街道真倉村において関門見張り番所を取り建て、12・1より諸士以上が相詰めること、街道筋は勿論、他領越えの間道・村道のある村方は厳重に相守り、怪しい風体の者が往来すれば早々郡役所へ注進することを達する | |
1908 | 明治41年戊申 | 4 | 真倉尋常小学校を中筋尋常小学校真倉分教場と改称 | |
1951 | 昭和26年辛卯 | 9 | 1 | 舞鶴線中筋信号場、真倉駅と改称 |
真倉村の年表
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