神崎村の年表

西暦和暦出来事
1602慶長7年壬寅78神崎村、検地が施行される
1719享保4年己亥69神崎村西神崎火事 棟数107軒・居家75軒焼失する
1737元文2年丁巳9これより先、(南北)有路村高瀬船持、由良・神崎村川船積荷の船継ぎにつき藩へ訴える 川口上組・同下組大庄屋の取扱いにより双方和談、登り荷は残らず二ヶ村河原にて有路高瀬船が積み請けること、由良・神崎の塩荷船は福知山まで積み登りうること、船継ぎ場での下り荷の3分の2は由良・神崎船、3分の1は有路船が積み請けることなどの1札を取り交わす
1737元文2年丁巳9藩、登り荷物運漕に雇われた川船は定運賃のほか一切取らないこと、由良・神崎村川船は塩荷のほかの登り荷物を、二ヶ村船継ぎ場で一切有路村高瀬舟に継ぐこと、由良村にて他領船の取締りを怠らないことなどを令する
1737元文2年丁巳9藩内の由良川舟運に従事する船持人数、由良村川船持28人、神崎村同8人、南有路村高瀬船持7人、北有路村同4人
1740元文5年庚申35藩、神崎村山にて猪狩りを催す 猪152頭取る
1741寛保元年辛酉1015由良・神崎・(南北)有路村、由良川舟運での有路船継ぎをめぐって、天領蓼原村と船論を始める
1742寛保2年壬戌617由良・神崎・(南北)有路村庄屋・船持惣代・船差、川口下組大庄屋ら11人、蓼原村との船論につき、藩の意向を受けて幕府に訴えるため江戸へ出立する
1742寛保2年壬戌1025由良・神崎・(南北)有路村、蓼原村との船論で和談を遂げ、蓼原船は有路船継ぎ場より下へは下らず、由良・神崎・有路登り船の通行に手出ししない旨の証文を取り交わす
1785天明5年乙巳113神崎村東神崎火事 竃50軒焼失する
1793寛政5年癸丑412藩、神崎浜にて「軍立足揃」を行う 諸人の見物差し止める
1825文政8年乙酉612藩、5・26に海辺を見分して大砲仕掛け場を決める この日、その場所(田井・野原・小橋・三浜・瀬崎・千歳・神崎・由良村)を達する(写真27)
1843天保14年癸卯4藩、当領分へ異国船渡来の節は防備人数を差し向ける間、異国船を見れば急便で郡役所に申し出ること、由良・神崎村、吉原猟船、町方船乗りの者は常々心をつけ、老人嶋沖にて見慣れぬ船を見受ければ、早速漕ぎ戻り郡役所へ申し出ること、その他を達する
1855安政2年乙卯2藩、異国船渡来の節は防備人数を差し出す間、異国船を見受ければ郡役所に知らせること、鉄砲持主はかねて御用の用意をして置くことなど文化度以来の触れとともに、軍役の心得、大浦筋・由良・神崎海岸村々の心得、村々役人の心得などを達する
1855安政2年乙卯4藩、大庄屋・庄屋・年寄万々一の心得として、陣具類の継送、出張軍勢用品の準備その他とともに、平・中田・長浜・余部下・千歳村に城より大浦への急用船役、大山・多祢寺村に三浜峠詰めの急用継立て、中山村に由良への急用伝達、由良・神崎村川船に船役を申しつける旨達する
1861万延2年
(文久元年)辛酉
1226藩、他所より諸品買寄せまたは積出しの儀につき享和・文政度申達のところ猥りに相成り、改めて嘉永5・5申達のところとかく抜買い・抜荷物あるやに相聞える間、以来、田辺入船の他船・地船ともに商い物積請けの分は商会所・船問屋へ着致し、両所の内にて取捌きを受くべきこと、他船の買寄せ・送り荷物も同様 買寄せ・送り荷物の諸品で由良・神崎・町方の地船にて積送りの分、商会所・船問屋へ着致しの分は勿論、着しない船であっても先方より送り状をもって着致し、両所月番の改め・手形奥印の上、手形は嶋崎番所へ差し出し、なお改めを受けて水揚げ致すべきこと、地船の送り荷物積出しも同様などを達する(史料)
1866慶応2年丙寅84藩、由良村・神崎村・大浦辺・吉原町漁船・町方船乗りに対し、当今不容易の風聞につき海上へ罷り出る節は心をつけ、小船たりとも見慣れぬ軍艦・蒸気船を見受ければ、早速漕ぎ戻り郡役所へ申し出るよう達する
1870明治3年庚午3東神崎村で大火、全戸数74戸中、60戸が焼失
1873明治6年癸酉この年設立された学校
明倫校(北田辺町明倫館跡)・中山校(中山村祥雲寺)・順正校(七日市村西光寺)・志高校(志高村宏玄寺観音堂)・神崎校(西神崎村永春寺)・共立校(西方寺村上野弥太郎宅)・漆原校(上漆原村天然寺)・行永校(行永村怡雲庵)・福井黌(下福井村)・立敬舎(倉谷村心学道場立敬舎跡)・横山校(今田村倭文神社舞堂及び別所村安養寺跡)・登尾校(登尾村椿長九郎持家)・大波校(大波上村沖安重右衛門持家)・遵法校(泉源寺村智性院)・含章校(鹿原村荒神籠堂)・陽明校(城屋村)・鸕渓校(桑飼上村荘厳寺)
1877明治10年丁丑蒲江・石浦・由良・東神崎4か村、由良川口魞漁につき相互規制、設置期間など取り決める
1896明治29年丙申1016由良村・神崎村漁民、魞漁業及び仕切網禁止につき府に嘆願
1909明治42年己酉41倉梯尋常小学校・与保呂尋常小学校・余内尋常小学校・中筋尋常小学校・高野尋常小学校・神崎尋常小学校に高等科を併置、それぞれ、尋常高等小学校と改称
1910明治43年庚戌9由良村・神崎村の製塩廃止
1911明治44年辛亥8公設神崎消防組発足
1916大正5年丙辰10大阪電灯(株)舞鶴支店、志楽村、与保呂村、倉梯村字堂奥・多門院、神崎村、東雲村、丸八江村、岡田上村、岡田下村へ電灯供給開始
1925大正14年乙丑神崎漁業組合設立
1942昭和17年壬午71京都府与謝地方事務所(宮津町)設置、加佐郡の内、岡田上・岡田中・岡田下・八雲・神崎・由良・朝来・東大浦・西大浦村が所轄となる
1944昭和19年甲申613神崎村森林組合成立
1946昭和21年丙戌1224舞鶴市3地区・岡田上・岡田中・岡田下・八雲・神崎村農地委員選挙
1947昭和22年丁亥1上・中旬、現舞鶴市域内の各農地委員会、第1回委員会開催(神崎村は10月)
1948昭和23年戊子41八雲村神崎村組合立八雲中学校設立、八雲小学校に併設
1949昭和24年己丑41由良村・八雲村・神崎村組合立由良川中学校設立(八雲・由良中学校合併)
1951昭和26年辛卯○現舞鶴市域内の8農地委員会解消、舞鶴市新中舞鶴・東大浦・西大浦・朝来・志楽・与保呂・倉梯・四所・高野・中筋・池内・余内、岡田上・岡田中・岡田下・八雲・神崎の17農業委員会発足
1952昭和27年壬辰111舞鶴市教育委員会設置、岡田上村・岡田中村・岡田下村・八雲村・神崎村、それぞれ村教育委員会設置
1953昭和28年癸巳212野原・三浜・神崎漁港、第一種漁港に指定(管理者舞鶴市)
1955昭和30年乙未420加佐町設置(岡田上・岡田中・岡田下・八雲・神崎の5か村合併)
1956昭和31年丙申322加佐町農業共済組合設立(加佐郡岡田上・岡田中・岡田下・八雲・神崎村農業共済組合合併)
1956昭和31年丙申725加佐町森林組合結成(岡田上・岡田中・岡田下・八雲・神崎森林組合合併)
1957昭和32年丁酉622国鉄丹後神崎駅開設
1961昭和36年辛丑○府道由良舞鶴線の由良川に渡船場(神崎・宮津市由良)設置
1963昭和38年癸卯10瀬崎・千歳・東舞鶴・舞鶴・四所・神崎漁協合併し舞鶴漁業協同組合発足
「舞鶴市史年表」より

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