西暦 | 和暦 | 月 | 日 | 出来事 |
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500年ころ | 古墳後期 | 泉源寺遺跡=古墳1基検出、土師器・須恵器・鉄器出土(’87・10~12発掘調査) | ||
1436 | 永享8年丙辰 | 以降に書かれた「西大寺諸国末寺帳」に、丹後成願寺・丹後志楽荘泉源寺・丹後国ヒオキ金剛心院・丹後国国分寺の4か寺が載る | ||
1744 | 延享元年甲子 | 4 | 池ノ内・室尾谷・泉源寺で銀鉱の採掘が始まる | |
1813 | 文化10年癸酉 | ○藩、泉源寺村市場において牛市の開設を許す | ||
1814 | 文化11年甲戌 | 3 | 藩、領内牛商いの者に泉源寺村市場の牛市へ罷り越し、牛の売買をするよう達する | |
1851 | 嘉永4年辛亥 | 5 | 藩、この度、札所模様替えにつき、泉源寺村梅垣西浦・北有路村平野吉左衛門へ当分世話御任せ仰せつける | |
1852 | 嘉永5年壬子 | 4 | 18 | 藩、泉源寺村梅垣西浦・北有路村平野吉左衛門・由良村四郎左衛門・久田美村杢兵衛へ、各自の居宅にて銀札引替えを行うよう仰せつける |
1858 | 安政5年戊午 | 2 | 2 | 志楽組大庄屋、宗門改めにつき、改め役人が2・5より東方へ出郷、2・6泉源寺村泊り、2・7判形取りが行われるから、例の通り心得るよう村々庄屋に通知する また、判形人は髪月代・衣類を質素清潔にし、大酒を飲み赤面体で罷り出ないよう注意を促す |
1858 | 安政5年戊午 | 12 | 1 | 公儀役人、早朝、若狭国高浜より吉坂村へ入る 同夜、泉源寺村宿泊 |
1864 | 文久4年 (元治元年)甲子 | 2 | 6 | 志楽組大庄屋、宗門改めにつき、改め役人が2・11より東方へ出郷、2・12泉源寺泊り、2・13判形であるから、例の通り心得るよう村々庄屋に通知する また、判形人は髪月代・衣類を質素清潔にし、大酒飲み赤面体で罷り出ないよう注意を促す |
1873 | 明治6年癸酉 | この年設立された学校 明倫校(北田辺町明倫館跡)・中山校(中山村祥雲寺)・順正校(七日市村西光寺)・志高校(志高村宏玄寺観音堂)・神崎校(西神崎村永春寺)・共立校(西方寺村上野弥太郎宅)・漆原校(上漆原村天然寺)・行永校(行永村怡雲庵)・福井黌(下福井村)・立敬舎(倉谷村心学道場立敬舎跡)・横山校(今田村倭文神社舞堂及び別所村安養寺跡)・登尾校(登尾村椿長九郎持家)・大波校(大波上村沖安重右衛門持家)・遵法校(泉源寺村智性院)・含章校(鹿原村荒神籠堂)・陽明校(城屋村)・鸕渓校(桑飼上村荘厳寺) | ||
1906 | 明治39年丙午 | 7 | 1 | 新舞鶴町設置(倉梯村の内字北吸・浜・溝尻の全部、森・行永の一部及び志楽村の字市場全部と泉源寺の一部を分割) |
1939 | 昭和14年己卯 | 12 | 舞鶴海兵団(東舞鶴市字泉源寺松ヶ崎、現海上自衛隊舞鶴教育隊)発足 | |
1940 | 昭和15年庚辰 | 10 | 13 | 舞鶴海兵団(東舞鶴市字泉源寺松ヶ崎)竣工式 |
1941 | 昭和16年辛巳 | 3 | 31 | 東舞鶴中学校(東舞鶴市字泉源寺)第1期建築工事竣工 |
1941 | 昭和16年辛巳 | ○舞鶴海軍工廠第二造兵部(舞鶴市字倉谷外)・第三海軍火薬廠(朝来村字朝来中外)・舞鶴海兵団第二兵舎(東舞鶴市字泉源寺)建設用地買収 | ||
1952 | 昭和27年壬辰 | 8 | 11 | 警備隊舞鶴地方総監部、旧舞鶴海兵団(字泉源寺)へ移転 |
1952 | 昭和27年壬辰 | 12 | 27 | 警備隊舞鶴地方隊に舞鶴練習隊(字泉源寺、旧舞鶴海兵団)設置 |
1960 | 昭和35年庚子 | ○泉源寺、耕地区画整理完工(積雪寒冷地対策事業) |
泉源寺村の年表
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