西暦 | 和暦 | 月 | 日 | 出来事 |
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縄文時期未確定 | 大川遺跡 | |||
BC100年ころ | 弥生中期 | 大川遺跡=弥生土器出土(’86・10~12発掘調査、以下同遺跡は同年月調査) | ||
AD100年ころ | 弥生後期 | 大川遺跡 | ||
500年ころ | 古墳後期 | 大川遺跡=竪穴式住居跡1基検出、土師器・須恵器出土 | ||
859 | 天安3年 (貞観元年)己卯 | 1 | 27 | 丹後国従五位下大川神、従五位上を授けられる |
927 | 延長5年丁亥 | 12 | 26 | 延喜式の神祇・神名(神名帳)、「加佐郡十一座<大一座/小十座>」(式内社)として奈具神社・伊知布西神社・弥加宜(イヤカキ)神社・倭文(シトリノ)神社・高田神社・大川神社<大明神>・阿良須神社・笶原神社・麻良多神社・三宅神社・日原神社を記載する(写真8・9) |
1715 | 正徳5年乙未 | 6 | 大川・久田美・桑飼下・由里・桑飼上村庄屋および志高村年寄、由良川・加古川直通舟運の開発により、道広げ普請のための田畑潰れ、川除けのための川端の藪・桑伐払い、船引人足雇いのための耕作妨げ、鮭簗立ての停止、船会所・蔵敷地の皆無など、村々の支障を大坂町奉行(カ)に訴える | |
1733 | 享保18年癸丑 | 8 | 25 | 藩家老、野成見分のため巡在する この日、大川村泊り |
1740 | 元文5年庚申 | 5 | 3 | 大川明神社建立につき、常右衛門座が来り、この日より10日間芝居興行する |
1745 | 延享2年乙丑 | 1 | 大川(神社)で富興行する (同年11月、翌年1月にも実施) | |
1781 | 天明元年辛丑 | 8 | 10 | 藩家老ら野形奉行、野形見分のため巡在する この日、大川村泊り |
1788 | 天明8年戊申 | 3 | 1 | 大川明神社の芝居興行、この日より晴天13日の間ある |
1821 | 文政4年辛巳 | 2 | 25 | 大川社拝殿再建につき、この日より芝居興行する 木戸札1枚銀札5分 |
1832 | 天保3年壬辰 | 7 | 26 | 藩、日照り続きにつき、朝代社・知恩院・大川社において、この日晩より28日まで雨乞いの祈祷を行うよう達する(松尾寺にても五穀成就・雨乞い祈祷執行申達) |
1853 | 嘉永6年癸丑 | 8 | 21 | 藩重役、野形見分のため巡在する この日、大川村泊り |
1855 | 安政2年乙卯 | 8 | 14 | 藩重役、野形見分のため巡在する この日、大川村泊り |
1865 | 元治2年 (慶応元年)乙丑 | 6 | 18 | 町年寄月行司(堀上町)、藩主の陣中武運長久のため朝代社・大川社・愛宕社において、6・22~24、2夜3日の間、軍神祭祈祷執行し御札を献上すること、町方3日の間日尽し、一統参詣致すべきことを達する(史料) |
1866 | 慶応2年丙寅 | 7 | 28 | 町年寄月行司(平野屋町)、藩主が芸州口討手としていよいよ出陣に相成る趣につき、朝代社・愛宕社・大川社において、8・1~3、2夜3日の間、軍神祭祈祷執行相頼み御札を献上すること、町方3日の間日尽し、一同参詣致すべきことを達する |
1901 | 明治34年辛丑 | 4 | 1 | 大川橋(丸八江村字八田・東雲村字上東間、由良川)完成、渡橋式 |
1909 | 明治42年己酉 | 6 | 26 | 大川橋(東雲村・丸八江村間、由良川)架設 |
1914 | 大正3年甲寅 | 5 | 大川橋継足架設(東雲村・丸八江村間、鎮守府街道、由良川) | |
1919 | 大正8年己未 | 6 | 7 | 大川神社(岡田下村字大川)府社に昇格 |
1921 | 大正10年辛酉 | 9 | 25 | 豪雨(雨量217mm)、各河川はん濫、河守町30尺、岡田下村28.5尺、東雲村大川橋23尺(由良川)、中筋村伊佐津10尺(伊佐津川)それぞれ増水、郡道被害96か所、工費8万356円 |
1953 | 昭和28年癸巳 | 5 | 18 | 大川橋(八雲村、由良川)竣工 |
1960 | 昭和35年庚子 | 4 | 20 | 大川区有線放送施設完成 |
1960 | 昭和35年庚子 | ○大川地区簡易水道建設 |
大川村の年表
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