西暦 | 和暦 | 月 | 日 | 出来事 |
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1682 | 天和2年壬戌 | 3 | 4 | 藩、滝ヶ宇呂村山にて猪狩りを催す |
1688 | 貞享5年 (元禄元年)戊辰 | 4 | 20 | 滝ヶ宇呂村へ入る(4・28江戸へ出立) |
1699 | 元禄12年 | 2 | 26 | 1月、江戸藩邸焼失につき、滝ヶ宇呂村より用材搬出する 人足、川口上組122人出役 |
1705 | 宝永2年乙酉 | 2 | 28 | 藩、「幾利死丹」宗門改めを施行する(滝ヶ宇呂村) 改め役人郡代(郡奉行)・目代(目付)・代官3人を在方に派遣(以後、毎年2月ないし閏2月施行) |
1715 | 正徳5年乙未 | 8 | 28 | 藩重役、野成見分する この日、滝ヶ宇呂村に入る |
1728 | 享保13年戊申 | 3 | 24 | 田辺城普請用材の伐採、滝ヶ宇呂村にて始まる(7・4まで) |
1777 | 安永6年丁酉 | 8 | 24 | 藩家老ら野形奉行、野形見分のため巡在する この日、滝ヶ宇呂村見分 |
1793 | 寛政5年癸丑 | 8 | 25 | 藩野形奉行、野形見分のため巡行する この日、滝ヶ宇呂村見分 |
1799 | 寛政11年己未 | 9 | 3 | 藩野形奉行、野形見分のため巡在する この日、滝ヶ宇呂村にて昼休み |
1803 | 享和3年癸亥 | 8 | 14 | 藩野形奉行、野形見分のため巡在する この日、滝ヶ宇呂村見分 |
1813 | 文化10年癸酉 | 9 | 藩、当9月~来年夏、城下近遠、東は榎峠・城取峠、南は布敷村滝・真倉村壱里塚、西は城屋村氏神社・真壁峠・大船峠・竹路峠、北は金崎・丑渡シを限り、川上は滝ヶ宇呂・千原村より下々川筋を、鉄砲鳥殺生札所持の者たりとも留場とする旨達する |
滝ヶ宇呂村の年表
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