西暦 | 和暦 | 月 | 日 | 出来事 |
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1802 | 享和2年壬戌 | 10 | 宣成、桑飼下村安四郎妻かる及び中山村与兵衛妻そよの孝貞を称誉する | |
1825 | 文政8年乙酉 | 異国船打払い令(無二念打払い令)の制札、市場・成生・三浜・中山・由良村に掲示される | ||
1843 | 天保14年癸卯 | 8 | 藩、公儀改革につきその趣意を相弁え、諸色値段正路に致し正礼をもって現銀に商売すべきこと、在方にても市場・中山・由良村、そのほか往来筋に少々店売り致す者も右同様相心得ることを達する | |
1843 | 天保14年癸卯 | 薪水給与令の制札、市場・成生・三浜・中山・由良村に掲示される | ||
1848 | 嘉永元年戊申 | 3 | 26 | 藩、去る弘化2・11百姓にて町人体の職・商いを本業と致す儀は向後無用の旨を在方に達し置いた書面で、市場・中山村は前々より仕来りの通り相心得べきと達したが、倉谷村町分の儀も前々より村方とは別に相立つにつき、右両村に准じ申すべしと令する |
1855 | 安政2年乙卯 | 4 | 藩、大庄屋・庄屋・年寄万々一の心得として、陣具類の継送、出張軍勢用品の準備その他とともに、平・中田・長浜・余部下・千歳村に城より大浦への急用船役、大山・多祢寺村に三浜峠詰めの急用継立て、中山村に由良への急用伝達、由良・神崎村川船に船役を申しつける旨達する | |
1865 | 元治2年 (慶応元年)乙丑 | 閏5 | 17 | 藩、当節京都並びに近国へ浮浪の徒が潜入しているとの風聞につき、領分境番所なおまた見張り厳しく吟味する故ひときわ厳重に相心得、昨年7月・当5月中の触れ通り堅く相守ること、もし胡乱な者の徘徊を見逃し訴え出ないときは在町役人の越度たるべく、町方・市場・中山村旅籠屋職並びに松尾村順礼宿致す者は別して心得申すべき旨を達する |
1872 | 明治5年壬申 | 7 | 1 | 豊岡県下の郵便事業開始、郵便取扱所設置(舞鶴新町・市場村、7・9に中山村) |
1873 | 明治6年癸酉 | この年設立された学校 明倫校(北田辺町明倫館跡)・中山校(中山村祥雲寺)・順正校(七日市村西光寺)・志高校(志高村宏玄寺観音堂)・神崎校(西神崎村永春寺)・共立校(西方寺村上野弥太郎宅)・漆原校(上漆原村天然寺)・行永校(行永村怡雲庵)・福井黌(下福井村)・立敬舎(倉谷村心学道場立敬舎跡)・横山校(今田村倭文神社舞堂及び別所村安養寺跡)・登尾校(登尾村椿長九郎持家)・大波校(大波上村沖安重右衛門持家)・遵法校(泉源寺村智性院)・含章校(鹿原村荒神籠堂)・陽明校(城屋村)・鸕渓校(桑飼上村荘厳寺) | ||
1876 | 明治9年丙子 | この年設立された学校 三浜校(三浜村海蔵寺)・余部校(余部下村民家)・明心校(倉谷村立敬舎改称)・志楽校(小倉村、遵法校・含章校合併)・田井校分校(野原)・栃葉校(共立校より分離)・四か村(和江村・中山村・水間村・下東村)組合小学校(中山校改称)・陽明小学校(陽明校改称) | ||
1908 | 明治41年戊申 | 4 | 25 | 東雲村字水間・中山地区耕地整理工事着工(大正2・2・26完了) |
1932 | 昭和7年壬申 | 4 | 1 | 八雲尋常高等小学校(八雲村字丸田)設立(同村中山尋常小学校・八田尋常高等小学校統合) |
1948 | 昭和23年戊子 | 12 | 3 | 組合立八雲中学校独立校舎(八雲村字中山)落成 |
1956 | 昭和31年丙申 | 4 | 23 | 永久つり橋の八雲橋(加佐町字中山・同丸田間)完成 |
中山村の年表
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