朝代町の年表

西暦和暦出来事
1727享保12年丁未626田辺朝代町火事 引土村類火、朝代町家数49軒・引土村同13軒焼失する
1732享保17年壬子93田辺大火 昼4ツ時より7ツ時まで延焼、引土村家数30余軒焼失、本行寺、朝代大明神、円隆寺本堂・塔・八幡宮・観音堂・薬師堂・理正院・成就院など類焼する
1739元文4年己未65朝代神社(字朝代)本殿(市指定文化財)再建される
1777安永6年丁酉22惟成、朝代町長兵衛女いよの孝養を賞し、惟成50年賀の祝儀として鳥目1貫文を給する
1784天明4年甲辰 ○全国的な飢饉の影響で費用縮小を計り、朝代祭礼の芸屋台は、当年より年番で3町ずつとする
1785天明5年乙巳723町方流行病の気配につき、朝代社・愛宕社・神明社に町中総参りして、病難除け祈祷を行う
1832天保3年壬辰726藩、日照り続きにつき、朝代社・知恩院・大川社において、この日晩より28日まで雨乞いの祈祷を行うよう達する(松尾寺にても五穀成就・雨乞い祈祷執行申達)
1838天保9年戊戌814町方疫病流行容易に終息せず、朝代社において鎮疫祭を行う
1858安政5年戊午41藩、この日より9日まで、朝代社において五穀成就並びに火災除けの祈祷を行うにつき、信心の輩は朔日・2日両日に参詣するよう達する
1859安政6年己未728世上で悪病が流行し、朝代社で祈祷を行う
1860安政7年
(万延元年)庚申
225町方、朝代社において流行病除けの祈祷を行う
1865元治2年
(慶応元年)乙丑
618町年寄月行司(堀上町)、藩主の陣中武運長久のため朝代社・大川社・愛宕社において、6・22~24、2夜3日の間、軍神祭祈祷執行し御札を献上すること、町方3日の間日尽し、一統参詣致すべきことを達する(史料)
1865元治2年
(慶応元年)乙丑
823藩、藩主進発並びに出陣中につき、当9月朝代祭礼の儀、追って沙汰あるまで差し延べるよう達する
1866慶応2年丙寅728町年寄月行司(平野屋町)、藩主が芸州口討手としていよいよ出陣に相成る趣につき、朝代社・愛宕社・大川社において、8・1~3、2夜3日の間、軍神祭祈祷執行相頼み御札を献上すること、町方3日の間日尽し、一同参詣致すべきことを達する
1867慶応3年丁卯529町惣年寄、拝領より当年200年に及ばせられ、祝儀として酒肴を町方一同へ下し置かれるにつき、来る3日、日尽し、朝代社において武運長久祈祷執行致す間、正6ツ時、年寄・肝煎・組頭そのほか一同参詣、そのうえ役宅にて酒頂戴するよう達する
1888明治21年戊子2舞鶴(朝代・引土新)を貸座敷免許区域に指定
1928昭和3年戊辰911朝代神社(舞鶴町字朝代)府社に昇格
「舞鶴市史年表」より

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