朝来村の年表

西暦和暦出来事
1322元享2年壬戌825右馬三郎、毛利経親の下知状により、志楽荘朝来村内景守名の年貢・公事を宛行われる
1350観応元年庚寅1227足利尊氏、醍醐寺三宝院賢俊僧正との深い関係から、志楽荘朝来村地頭職を同寺に修造料所として寄進する
1351観応2年辛卯41田辺郷居住の河端兵衛三郎、志楽荘朝来村に乱入して濫妨を働き、幕府は守護上野頼兼に対して河端某の濫妨を停止するよう命じる
1351観応2年辛卯1017幕府、丹後守護仁木頼彰に対して、志楽荘朝来村における軍勢甲乙人等の濫妨を停止させる
1418応永25年戊戌710足利義持、醍醐寺三宝院門跡領志楽荘朝来村について、守護の半済や無理押領を停止するよう自筆書状を三宝院満済に出す
1951昭和26年辛卯○現舞鶴市域内の8農地委員会解消、舞鶴市新中舞鶴・東大浦・西大浦・朝来・志楽・与保呂・倉梯・四所・高野・中筋・池内・余内、岡田上・岡田中・岡田下・八雲・神崎の17農業委員会発足
「舞鶴市史年表」より

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