西暦 | 和暦 | 月 | 日 | 出来事 |
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1581 | 天正9年辛巳 | 3 | 28 | 羽柴秀吉、近江国長浜町人の商売船へ折紙を与え、若狭・丹後国の海賊の違乱に備えさす |
1584 | 天正12年甲申 | 8 | 岡本元幸、余部池尻の田1反余、畠245歩を長浜八幡宮に寄進する | |
1613 | 慶長18年癸丑 | 8 | 15 | 備前壺焼衆、安久村において狛犬一対を焼き、高倉神社(字長浜)へ寄進する |
1752 | 宝暦2年壬申 | 四季とも気色寒く、谷々の稲不熟、とりわけ布敷・長浜村では谷々2町歩ほど青立ちになる | ||
1811 | 文化8年辛未 | 6 | 13 | 倉谷・福来・上安久・下安久・和田・長浜・余部上・同下村役人中、山城国愛宕神社成徳院に対し、近来諸国の勧化札が多く入り込み、古来の御免札以外は領主に差し止められたので、配札を当年より断る旨通知する |
1855 | 安政2年乙卯 | 4 | 藩、大庄屋・庄屋・年寄万々一の心得として、陣具類の継送、出張軍勢用品の準備その他とともに、平・中田・長浜・余部下・千歳村に城より大浦への急用船役、大山・多祢寺村に三浜峠詰めの急用継立て、中山村に由良への急用伝達、由良・神崎村川船に船役を申しつける旨達する | |
1896 | 明治29年丙申 | 12 | 26 | 内務省、余内村字長浜海軍省所轄地先海面3万坪埋立を府へ訓令 |
1902 | 明治35年壬寅 | 6 | 1 | 余部町設置(余内村の内、字余部上・余部下・長浜・和田4か字を分割) |
1902 | 明治35年壬寅 | 11 | 道芝(194間、倉梯村字北吸・余部町字余部上)、榎(90間、余部上・余内村字上安)、葛(45間、余部町字余部下・長浜)の3トンネル竣工 | |
1905 | 明治38年乙巳 | 8 | 加津良遊郭(余部町字長浜小字加津良)営業開始 | |
1912 | 明治45年 (大正元年)壬子 | 4 | 1 | 飯野造船所(余部町字長浜五森)開設 |
1929 | 昭和4年己巳 | 7 | 海軍火薬廠爆薬部、東京府滝野川より中舞鶴町字長浜に移転開始 | |
1930 | 昭和5年庚午 | 3 | 海軍火薬廠爆薬部、中舞鶴町字長浜へ移転完了、8月作業開始 | |
1937 | 昭和12年丁丑 | 3 | 舞鶴防備隊移転新営(中舞鶴町字長浜五森)のため、飯野造船所同町字和田へ移転 | |
1938 | 昭和13年戊寅 | 4 | 1 | 舞鶴海軍工廠、機関実験部(中舞鶴町字長浜雁又)設置 |
1938 | 昭和13年戊寅 | 11 | 舞鶴防備隊移転新営のため東舞鶴市字長浜五森地区住民立退き | |
1941 | 昭和16年辛巳 | 4 | 1 | 海軍火薬廠爆薬部(東舞鶴市字長浜)、第三海軍火薬廠と改称 |
1941 | 昭和16年辛巳 | 4 | 29 | 舞鶴防備隊(東舞鶴市字長浜五森)竣工式 |
1941 | 昭和16年辛巳 | ○東舞鶴市字長浜(小字岩子・五森・白浜)の海軍用地買収進む | ||
1944 | 昭和19年甲申 | 4 | 第三海軍火薬廠、字長浜より大波地区へ移転完了 | |
1947 | 昭和22年丁亥 | 5 | 15 | 京都大学農学部水産学科(字長浜、旧第三海軍火薬廠跡)創設 |
1951 | 昭和26年辛卯 | 4 | 1 | 海上保安学校(字長浜、旧舞鶴防備隊跡)開校(東京都より移転) |
長浜村の年表
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