西暦 | 和暦 | 月 | 日 | 出来事 |
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1811 | 文化8年辛未 | 6 | 13 | 倉谷・福来・上安久・下安久・和田・長浜・余部上・同下村役人中、山城国愛宕神社成徳院に対し、近来諸国の勧化札が多く入り込み、古来の御免札以外は領主に差し止められたので、配札を当年より断る旨通知する |
1812 | 文化9年壬申 | 2 | 14 | 福来村溜池普請、同村所属池之内組懸りとしてその人足、組内村々より出役する(2・21再出役) |
1848 | 嘉永元年戊申 | 9 | 23 | 池之内組大庄屋、白焔硝道具を倉谷村焔硝蔵より天台村へ持ち運ぶ人足15人を、福来・倉谷村に割りつける |
1864 | 文久4年 (元治元年)甲子 | 2 | 13 | 志楽組大庄屋、藩が福来村文左衛門・覚助へ軍用白焔硝製造を申しつけ、焔気ある家々を見回り床下の土を取らせるが、家主に迷惑の及ばぬよう致さすゆえ承知させ置くべき旨仰せ出されたことを達する |
1865 | 元治2年 (慶応元年)乙丑 | 2 | 藩、先年より白焔硝製造を上林栄助そのほか福来村文左衛門・角助、引土町播磨屋卯兵衛などに申しつけて置いたが、当今の形勢にて焔硝多量入用につき、製造は郡方へ替え、上林栄助に出役仰せつけた旨を達する | |
1879 | 明治12年己卯 | この年の学校 野原校(田井校分校独立)・鵠立校(布敷村横山校改称)・明心校(福来村に移転) | ||
1900 | 明治33年庚子 | 9 | 19 | 舞鶴町長、余内村のうち榎峠以南の上安・上安久・下安久・清道・天台・福来・倉谷・円満寺を同町に合併したい旨府へ出願 |
1916 | 大正5年丙辰 | 5 | 大阪電灯(株)舞鶴支店、余内村字福来・池内村へ電灯供給開始 |
福来村の年表
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