西暦 | 和暦 | 月 | 日 | 出来事 |
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1741 | 寛保元年辛酉 | 7 | 19 | 小橋・野原村、高波に襲われる 被害80軒のうち潰れ家28軒、このため小屋掛け材木を藩へ願い出て下される 縄420束・藁5600束は大庄屋8組割に仰せつけられる |
1825 | 文政8年乙酉 | 6 | 12 | 藩、5・26に海辺を見分して大砲仕掛け場を決める この日、その場所(田井・野原・小橋・三浜・瀬崎・千歳・神崎・由良村)を達する(写真27) |
1836 | 天保7年丙申 | ○生野銀山方2人および生野銀山猪野々町年寄長兵衛、生野役所の副申書を付し、当藩役所に野原銀・銅山の採鉱願を提出する | ||
1841 | 天保12年辛丑 | 12 | 12 | 生野銀山猪野々町年寄長兵衛、当藩野原村銀・銅山採掘願を幕府勘定奉行所に提出する |
1871 | 明治4年辛未 | 12 | 24 | 野原村で53軒(寺とも)焼失 |
1876 | 明治9年丙子 | この年設立された学校 三浜校(三浜村海蔵寺)・余部校(余部下村民家)・明心校(倉谷村立敬舎改称)・志楽校(小倉村、遵法校・含章校合併)・田井校分校(野原)・栃葉校(共立校より分離)・四か村(和江村・中山村・水間村・下東村)組合小学校(中山校改称)・陽明小学校(陽明校改称) | ||
1879 | 明治12年己卯 | 2 | 1 | 雄島(冠島)の内、77%を野原・小橋・三浜3村共有の民有地、他を官有地と定める |
1879 | 明治12年己卯 | この年の学校 野原校(田井校分校独立)・鵠立校(布敷村横山校改称)・明心校(福来村に移転) | ||
1900 | 明治33年庚子 | 2 | 森下岩吉(東大浦村字野原)、イワシ落網考案、以後丹後・若狭沿岸各地に普及 | |
1908 | 明治41年戊申 | ○野原漁業組合設立 | ||
1940 | 昭和15年庚辰 | ○加佐郡野原漁協、煮干鰛製造設備を建造 | ||
1940 | 昭和15年庚辰 | ○舞鶴海軍空山防空砲台構築用地(東大浦村字野原ほか)・舞鶴海軍取水設備用地(西大浦村字瀬崎)買収 | ||
1951 | 昭和26年辛卯 | 6 | 4 | 野原大火、住家59戸・船小屋等106棟・若宮神社など焼失 |
1953 | 昭和28年癸巳 | 2 | 12 | 野原・三浜・神崎漁港、第一種漁港に指定(管理者舞鶴市) |
1956 | 昭和31年丙申 | 8 | 27 | 府道野原港線三浜峠道路完成(字赤野・三浜間) |
1962 | 昭和37年壬寅 | 野原地区簡易水道建設 | ||
1965 | 昭和40年乙巳 | 野原観光協会設立 |
野原村の年表
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