西暦 | 和暦 | 月 | 日 | 年表 |
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1694 | 元禄7年甲戌 | 2 | 余部下村、本田のみにつき地割を施行する | |
1855 | 安政2年乙卯 | 4 | 藩、大庄屋・庄屋・年寄万々一の心得として、陣具類の継送、出張軍勢用品の準備その他とともに、平・中田・長浜・余部下・千歳村に城より大浦への急用船役、大山・多祢寺村に三浜峠詰めの急用継立て、中山村に由良への急用伝達、由良・神崎村川船に船役を申しつける旨達する | |
1876 | 明治9年丙子 | 2 | 14 | 雲門寺(余部下村)本堂全焼 |
1876 | 明治9年丙子 | この年設立された学校 三浜校(三浜村海蔵寺)・余部校(余部下村民家)・明心校(倉谷村立敬舎改称)・志楽校(小倉村、遵法校・含章校合併)・田井校分校(野原)・栃葉校(共立校より分離)・四か村(和江村・中山村・水間村・下東村)組合小学校(中山校改称)・陽明小学校(陽明校改称) | ||
1881 | 明治14年辛巳 | この年の学校 余部校(余部下字西ヶ鼻へ移転) | ||
1896 | 明治29年丙申 | 12 | 20 | 臨時海軍建築部支部を雲門寺(余内村字余部下)に設け事務開始、支部長中溝徳太郎海軍大佐着任 |
1901 | 明治34年辛丑 | 5 | 私立余部博愛医院(余内村字余部下)設立 | |
1902 | 明治35年壬寅 | 6 | 1 | 余部町設置(余内村の内、字余部上・余部下・長浜・和田4か字を分割) |
1902 | 明治35年壬寅 | 11 | 道芝(194間、倉梯村字北吸・余部町字余部上)、榎(90間、余部上・余内村字上安)、葛(45間、余部町字余部下・長浜)の3トンネル竣工 | |
1909 | 明治42年己酉 | 7 | 8 | 舞鶴海軍工廠職工共済会病院余部医員出張所(余部町字余部下)開設(のち中舞鶴分院) |
1917 | 大正6年丁巳 | 10 | 31 | 舞鶴海軍工廠、友愛会の解体を策して、御用団体「工友会」を組織(事務所余部町字余部下) |
1919 | 大正8年己未 | 8 | 共楽公園(余部町字余部上・余部下)開設 | |
1921 | 大正10年辛酉 | 4 | 1 | 海軍共済組合舞鶴病院、私立余部博愛病院(中舞鶴町字余部下)買収し中舞鶴分院開設(4・16) |
1937 | 昭和12年丁丑 | 12 | 23 | 中舞鶴町役場(中舞鶴町字余部下)新築落成式及び飯野寅吉翁(寄附者)寿像除幕式 |
1943 | 昭和18年癸未 | 5 | 27 | 舞鶴市・東舞鶴市合併し、舞鶴市制を施行(人口 86051人、市役所位置 字余部下1143) |
1949 | 昭和24年己丑 | 4 | 1 | 市立東保育所(南浜町)・中保育所(字余部下)開設 |
1952 | 昭和27年壬辰 | 11 | 10 | 警備隊舞鶴地方隊総監部、旧舞鶴水交社(字余部下)へ移転 |
1962 | 昭和37年壬寅 | 4 | 1 | 市立中保育所乳児部(字余部下)開設 |
1964 | 昭和39年甲辰 | 11 | 旧舞鶴鎮守府庁舎(字余部下)老朽化により解体 | |
1965 | 昭和40年乙巳 | 10 | 10 | 市民体育祭(第1回)開催(字余部下、海上自衛隊舞鶴地方総監部グラウンド) |
余部下村の年表
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