西暦 | 和暦 | 月 | 日 | 出来事 |
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縄文時期未確定 | 和江遺跡 | |||
BC100年ころ | 弥生中期 | 和江遺跡 | ||
500年ころ | 古墳後期 | 和江ニイザ古墳=3基、横穴式石室2基・鉄器・須恵器・装身具出土(’24調査、採石作業中に発見、半壊) | ||
1599 | 慶長4年己亥 | 忠興、加佐郡和江村地先の由良川へ突出した岬が、洪水時に濁流を遮って水害をもたらしていたので、これを防止するため岬を掘削する ただし岬端の岩盤が硬くて除去できず、河中に島(瀬戸島)となって残る(大正2年除去) | ||
1655 | 承応4年 (明暦元年)乙未 | このころ明暦年中(~1658)に、和江村仁左衛門、油桐(ころび)の種子を石見国より求めて試作し、これが藩内に広く栽培されるようになったという | ||
1876 | 明治9年丙子 | この年設立された学校 三浜校(三浜村海蔵寺)・余部校(余部下村民家)・明心校(倉谷村立敬舎改称)・志楽校(小倉村、遵法校・含章校合併)・田井校分校(野原)・栃葉校(共立校より分離)・四か村(和江村・中山村・水間村・下東村)組合小学校(中山校改称)・陽明小学校(陽明校改称) | ||
1892 | 明治25年壬辰 | 10 | 1 | 丸八江村外3か村組合高等小学校を丸八江村字和江の仏心寺に仮校舎設置 |
1913 | 大正2年癸丑 | 10 | 25 | 瀬戸島(丸八江村字和江、由良川)開削工事竣工 |
1915 | 大正4年乙卯 | 5 | 17 | 瀬戸島開鏟紀功碑(丸八江村字和江)除幕式 |
1957 | 昭和32年丁酉 | ○女布・小橋・和江地区簡易水道建設 |
和江村の年表
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