西暦 | 和暦 | 月 | 日 | 出来事 |
---|---|---|---|---|
1517 | 永正14年丁丑 | 6 | 2 | 丹後守護代の延永修理進春信、若狭国和田に出陣し武田氏に合力する |
1565 | 永禄8年乙丑 | 7 | 28 | 細川藤孝、弑逆された将軍義輝の弟一乗院覚慶(足利義昭)を幽所から脱出させ、これを案内して近江国和田秀盛に頼る 次いで同国矢嶋へ移る |
1811 | 文化8年辛未 | 6 | 13 | 倉谷・福来・上安久・下安久・和田・長浜・余部上・同下村役人中、山城国愛宕神社成徳院に対し、近来諸国の勧化札が多く入り込み、古来の御免札以外は領主に差し止められたので、配札を当年より断る旨通知する |
1902 | 明治35年壬寅 | 6 | 1 | 余部町設置(余内村の内、字余部上・余部下・長浜・和田4か字を分割) |
1937 | 昭和12年丁丑 | 3 | 舞鶴防備隊移転新営(中舞鶴町字長浜五森)のため、飯野造船所同町字和田へ移転 | |
1939 | 昭和14年己卯 | ○舞鶴海軍工廠見習工員教習所移転新営用地(東舞鶴市字和田、現和田中学校)買収 | ||
1940 | 昭和15年庚辰 | 11 | 22 | 海軍工廠和田第2工員宿舎用地(東舞鶴市字和田)買収について海軍側・地主側双方交渉整わず |
1940 | 昭和15年庚辰 | 11 | 27 | 海軍工廠和田第1工員宿舎及び見習工員寄宿舎(東舞鶴市字和田)竣工祭 |
1947 | 昭和22年丁亥 | 6 | 19 | 和田中学校、旧海軍工廠見習工員寄宿舎(字和田)へ移転 |
1954 | 昭和29年甲午 | 1 | 13 | 和田沖爆発事故による爆死者合同法要施行 |
和田村の年表
関連する歴史の人物
関連する人物はいません。