和田村の年表

西暦和暦出来事
1517永正14年丁丑62丹後守護代の延永修理進春信、若狭国和田に出陣し武田氏に合力する
1565永禄8年乙丑728細川藤孝、弑逆された将軍義輝の弟一乗院覚慶(足利義昭)を幽所から脱出させ、これを案内して近江国和田秀盛に頼る 次いで同国矢嶋へ移る
1811文化8年辛未613倉谷・福来・上安久・下安久・和田・長浜・余部上・同下村役人中、山城国愛宕神社成徳院に対し、近来諸国の勧化札が多く入り込み、古来の御免札以外は領主に差し止められたので、配札を当年より断る旨通知する
1902明治35年壬寅61余部町設置(余内村の内、字余部上・余部下・長浜・和田4か字を分割)
1937昭和12年丁丑3舞鶴防備隊移転新営(中舞鶴町字長浜五森)のため、飯野造船所同町字和田へ移転
1939昭和14年己卯○舞鶴海軍工廠見習工員教習所移転新営用地(東舞鶴市字和田、現和田中学校)買収
1940昭和15年庚辰1122海軍工廠和田第2工員宿舎用地(東舞鶴市字和田)買収について海軍側・地主側双方交渉整わず
1940昭和15年庚辰1127海軍工廠和田第1工員宿舎及び見習工員寄宿舎(東舞鶴市字和田)竣工祭
1947昭和22年丁亥619和田中学校、旧海軍工廠見習工員寄宿舎(字和田)へ移転
1954昭和29年甲午113和田沖爆発事故による爆死者合同法要施行
「舞鶴市史年表」より

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