池内村の年表

西暦和暦出来事
6池内保の百姓等、隣国丹波国淤与岐(現綾部市)別宮の荘民等の二箇条の訴えに対する反論を丹後国衙に提出する
1790寛政2年庚戌宣成、池内下村重次郎・ろく夫婦および城屋村喜左衛門女福(女布村六右衛門妻)の孝養を賞して、鳥目を給する
1811文化8年辛未613境谷・万願寺・今田・堀・池内下・別所・上根・寺田・岸谷村役人中、山城国愛宕神社福寿院に対し、配札を当年より断る旨通知する
1839天保10年己亥912藩、池内谷にて狂言様催しの風聞がある間、心得違いのないよう申しつくべき旨を池之内組大庄屋に達する
1908明治41年戊申325九枠橋(中筋村池内街道、伊佐津川)架設
1908明治41年戊申41池内第一尋常小学校を池内尋常小学校と改称、第二校を上根分教場、第三校を岸谷分教場と改称
1909明治42年己酉101池内村字今田耕地整理工事発起申請(大正元年8・31完了)
1910明治43年庚戌41池内尋常小学校・岡田上村東尋常小学校・岡田中村共立尋常小学校・漆原尋常小学校・岡田下村久田美尋常小学校に高等科併置、それぞれ尋常高等小学校と改称
1914大正3年甲寅1公設池内消防組発足
1915大正4年乙卯11池内村「忠魂碑」(池内村字布敷)建立
1916大正5年丙辰5大阪電灯(株)舞鶴支店、余内村字福来・池内村へ電灯供給開始
1918大正7年戊午5四所村青井実業補習学校・池内村実業補習学校設立
1922大正11年壬戌8池内村字布敷で民家11戸全焼
1922大正11年壬戌12加佐郡中部処女会創立(中舞鶴町・余内村・舞鶴町・中筋村・池内村・高野村・四所村)
1930昭和5年庚午4加佐郡中部消防連合会結成(舞鶴町、中筋・高野・池内・余内・四所村)
1932昭和7年壬申○池内村・朝来村・東大浦村、京都府経済更生指定村となる
1934昭和9年甲戌7舞鶴町及びその周辺(舞鶴町、高野村、中筋村、余内村、四所村・池内村の一部)を都市計画区域に決定
1935昭和10年乙亥1029第1回舞鶴町外5か村(四所・高野・中筋・池内・余内村)合併協議会開く
1936昭和11年丙子81舞鶴町、四所村・高野村・中筋村・池内村・余内村を編入、舞鶴町役場位置を字北田辺三の丸(旧加佐郡役所跡)に変更
1945昭和20年乙酉616市内中等学校・国民学校(17校)の御真影、池内国民学校奉安殿に移す
1945昭和20年乙酉1024御真影、池内国民学校より各学校へ返還
1951昭和26年辛卯○現舞鶴市域内の8農地委員会解消、舞鶴市新中舞鶴・東大浦・西大浦・朝来・志楽・与保呂・倉梯・四所・高野・中筋・池内・余内、岡田上・岡田中・岡田下・八雲・神崎の17農業委員会発足
1956昭和31年丙申119舞鶴市西農業共済組合設立(四所・高野・中筋・池内・余内農業共済組合合併)
1959昭和34年己亥池内地区有線放送電話開設
1963昭和38年癸卯331池内小学校上根分校廃止
「舞鶴市史年表」より

関連する歴史の人物

関連する人物はいません。