現在の舞鶴市伊佐津(イサヅ)。明治17年当時、戸数 106戸、社2戸、総計118戸、人数 男218口、女268口、総計486口。
・出典 京都府地誌32~35加佐郡村誌1~4、京都府庁文書、京都府立京都学・歴彩館所蔵
村誌
丹後国加佐郡伊佐津(イサツ)村
本村往古田造郷ノ属ニシテ中筋ノ庄八ヶ村ノ部内タリ<村人紙屋嘉左衛門伝云、当村ハ紙スキト百姓入交リ大村也、古来境谷村ノ内后ニ分ル、細川幽齋公御代、越前国ヨリ紙スキ呼寄セラル、今ノ喜左衛門先祖也、其後市郎兵衛ト云者来ル、其頃大内町ニ住ス後、伊佐津村ヘ移ル由、六十年斗以前也云々トアリ、今伊佐津川辺ニ漉紙工数戸アリ、蓋シ其末葉ナラン>
●疆域 東ハ同郡境谷村ト耕地・野逕又ハ伊佐津川中央ヲ以テ界シ、西ハ引土村ト耕地或溝洫ヲ以テ界シ、南ハ公文名村ト耕地ヲ以テ界シ、北ハ円満寺・倉谷ノ両村ト耕地ヲ以テ界ス
●幅員 東西五町、南北八町十間、面積欠ク
●管轄沿革 円満寺村誌ニ同シ
●里程 京都府庁ヨリ西北方本村元標ニ達スル二十三里余、宮津支庁ヨリ東南方七里余、四隣東境谷村ヘ五町五十九間半、西引土村ヘ八町十四間<実測>、南公文名村ヘ八町五十四間半、北円満寺村ヘ九町二十四間半、舞鶴市街ヘ十九町二十間
●地勢 全村平衍四方ニ山岳ヲ見ス、伊佐津川東端ヲ流レ、真名井ノ冷泉中央ヲ貫通ス、北境舞鶴市街ニ密迩スルヲ以テ、運輸極テ便ナリ、薪炭ハ甚タ乏シ
●地味 其色淡黄、其質上等、稲・麦ニ適ス、水利便ニシテ旱魃ノ患ナシ
●税地 田<三拾町五反七畝拾九歩>、畑<六反壱畝拾四歩>、宅地<三町弐畝弐歩>、山<反別欠ク>、総計<三拾四町弐反壱畝五歩>
●字地 大内上<村ノ東北ニアリ、東西五十間、南北六町五間>、溝黒東<村ノ北ニアリ、東西一町、南北四町>、溝黒西<同上、東西四十間、南北十間>、イノバヽ東<同上、東西一町二十間、南北三町>、コモイケ東<村ノ西北ニアリ、東西一町二十間、南北三町>、コモイケ西<村ノ西ニアリ、東西一町十間、南北四町五十間>、鎌風呂<村ノ西南ニアリ、東西四町、南北三十間>
●貢租 地租<金七百弐拾三円九拾壱銭四厘>、山税<金八銭弐厘>、総計<金七百弐拾三円九拾九銭六厘>
●戸数 本籍百十六戸<士族九戸、平民百七戸>、社二戸<村社一座、無格社一座>、総計百十八戸
●人数 男二百十八口<士族二十二口、平民百九十六口>、女二百六十八口<士族二十一口、平民二百四十七口>、総計四百八十六口
●牛馬 牝牛二十二頭
●川 伊佐津川<深所二尺五寸、浅所尺ニ充タス、広所二十間、狭所十六間、緩ニシテ清、長六町十四間、南方境谷村界ヨリ来リ、本村東境ヲ過キ北方倉谷村界ニ入ル>
●森林 伊佐津川通林<官ニ属ス、四覆欠ク、反別壱町七反歩、村ノ東伊佐津川西堤ニ沿フ、本村外六ヶ村ノ所属ナリ、七寸以下、竹数八千三百五十三本>
●道路 村道<村ノ南方境谷村界ヨリ北方倉谷村界ニ至ル、長六町十四間、巾二間>
●堤塘 伊佐津川堤<道路ヲ兼ヌ、伊佐津川ニ沿ヒ、南方境谷村界ヨリ北方倉谷村界ニ至ル、長六町四十間、馬踏二間、堤敷八間、根堅メ小竹ヲ植ウ、修繕費用官民両途ニ属ス>
●社 鎌風呂神社<村社々地、東西十八間、南北十四間、面積二百五十二坪、村ノ西方ニアリ、火産霊神・興津比古神・興津比賣神ヲ祭ル、勧請年紀詳ナラス、里老云、慶長中烏丸光廣再建スト、然レトモ攷フ可カラス、祭日十月十四日、境内末社ニ座アリ>、北野神社<社地四覆欠ク、面積六十坪、本村ノ東方境谷村地内字功山ニ鎮座ス、菅原道真・迦具土神ヲ祭ル、創建年代及ヒ由緒詳ナラス>
●物産 紙類<九千八百束>、諸国ヘ輸出ス
●民業 男女各農業ヲナシ、余暇抄紙ヲナス