郡村誌の編纂

 「郡村誌」は、「皇国地誌」ともよばれ、明治八~一八年の全国的な地誌編纂により、各府県で作られた。この時期は、明治二二年の大規模な町村合併以前であり、ほぼ近世村と同じ範囲の各村の多様な状況を、全国同じ基準で知ることができる。京都府立京都学・歴彩館所蔵の「京都府庁文書」のなかに「京都府地誌」35冊としてまとめられている。

①京都や伏見の市街地に関する「市街誌」 京都市街誌料6冊、伏見区市街誌料1冊

②郡全体「郡誌」 山城国八郡(愛宕、葛野、乙訓、紀伊、宇治、久世、綴喜、相楽)と丹後国加佐郡9冊

③各荘郷町村「荘誌(八幡荘、柳原荘)」「郷誌(宇治郷、淀郷)」「町誌」「村誌」 20冊

 山城国以外の京都府では唯一加佐郡が現存している。「加佐郡村誌」は4冊構成、1仏性寺~下漆原、2長谷~東神崎、3舞鶴町~溝尻、4市場~佐波賀と、加佐郡の西から東へ順番に収録されている。全149町村を現行市町村別に分けると、舞鶴市118町村、福知山市(旧大江町)28村、宮津市3村です。

 「郡村誌」は、明治8年6月5日太政官より各府県に編纂の指示があり、編纂を担当した京都府土木課調査係編輯部には、明治17年「地誌雑記」が現存する。その内務省地理局への進達内容から、加佐郡は明治17年に編纂完了したと考えられる。しかし、明治18年度以降、府県の地誌編纂業務を内務省へ移管することとなり、京都府における地誌編纂事業は終了した。

 「村誌」には、各村の名称・彊域・管轄沿革・幅員・里程・地勢・地味・貢租・戸数・人数・牛馬・舟車・山川・道路・陵墓・社寺・学校・郵便所・古趾・物産・民業の項目がある。記載年代は、「綴喜郡村誌」の「郡村誌編輯例言」には、税地・貢租・物産は明治8年の収納高を採用するとある。一方で「郡村誌」編纂時、村における調査で作成された、明治15年成生村「村誌編輯取調書」(成生漁業共同組合文書)の情報が「加佐郡村誌」に反映されている。政府の指示では明治8年であったが、編纂時に近い情報に変更された可能性がある。そのため「加佐郡村誌」の物産の情報は明治15年と推定した。

出典 

・「地誌雑記」(明17-31)、「綴喜郡村誌」京都府地誌27、「加佐郡村誌」同32~35、「加佐郡村誌」同32~35、「丹後国加佐郡誌」同14、京都府庁文書、京都府立京都学・歴彩館所蔵

・明治15年「村誌編輯取調書」(成生漁業共同組合文書B-15ー1)有限会社成生水産所蔵。

参考:東昇「幕末・明治期の加佐郡・堂奥村における桐実生産」文化遺産叢書11『舞鶴地域の文化遺産と活用』、2016(改稿同『京都の産物ー献上・名物・土産』臨川書店、2023)

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