下漆原村 郡村誌

現在の舞鶴市下漆原(シモウルシバラ)。明治17年当時、戸数 59戸、社2戸、総計61戸、人数 男143口、女130口、総計273口。

・出典 京都府地誌32~35加佐郡村誌1~4、京都府庁文書、京都府立京都学・歴彩館所蔵

      村誌

丹後國加佐郡下漆原(シモウルシハラ)村

本村往昔之事詳ナラス、中古岡田荘ニ属ス、相伝フ、旧ト志託郷或ハ凡海郷ノ内ニ属セシト、然トモ此郷名何レノ時ニ廃セシカ今詳ニ考フベカラス

●疆域  東ハ同郡八戸地村・長谷村ト大瀧山ヲ以テ界シ、西ハ下見谷・河原ノ両村、南ハ河原・富室・大川ノ三村ト各諸山嶺ヲ以テ界シ、北ハ上漆原村ト字甘草谷・上和谷等ノ山嶺ヲ以テ界ス

●幅員 東西十三丁十八間二分、南北三十一丁十六間六分、面積欠ク

●管轄沿革 円満寺村誌ニ同シ

●里程 京都府庁ヨリ西北方本村元標ニ達スル凡二十六里十六丁二十九間二尺、宮津支庁ヨリ南方三里四丁五十八間二分、四隣西南河原村ヘ二十三丁十間<実測>、東南八戸地村ヘ二十一丁十五間<実測>、東北長谷村ヘ十四丁二十三間三分、北上漆原村ヘ二十九丁十二間五分<実測>、西北下見谷村ヘ二十七丁三十七間<実測>

●地勢 東西ニ短窄シ南北ニ延長ス、四境山岳重沓シ中間ハ稍平衍ナリ、然トモ其実ハ窪タリ、窏タリ、運輸不便薪炭乏シカラス

●地味 其色赤紫色ヲヒ其質美ナラス、稲・粱ニ可ニシテ桑・茶ニ宜シカラス、水利便ナレトモ、却テ水害アリ

●税地 田<弐拾弐丁四畝拾五歩>、畑<三丁壱反七畝拾三歩>、宅地<壱丁弐反七畝弐拾六歩>、山<反別欠ク>、総計<弐拾六丁四反九畝弐拾四歩、外荒地壱丁七反壱畝廿壱歩>

●字地 山角(ヤマカト)<村ノ南方ニアリ、東西四十八間、南北一丁三十六間>、小倉口<同上、東西一丁五間、南北一丁二十九間>、長(ヲサ)<同上、東西五十五間、南北二丁六間>、清水(シミヅ)<本村元標ノ際ニアリ、東西三十六間、南北四丁十一間>、釘貫(クキヌキ)<村ノ北方ニアリ、東西四十九間半、南北四十六間>、梨本<同上、東西三丁三十二間、南北三十三間>

●貢租 地租<金弐百六拾三円七拾六銭>、山税<金八拾銭八厘>、国税<金弐円>、総計<金弐百六拾六円五拾六銭八厘>

●戸数 本籍五十九戸<平民>、社二戸<村社一座、無格社一座>、総計六十一戸

●人数 男百四十三口<平民>、女百三十口<平民>、総計二百七十三口

●牛馬 牝牛二十三頭

●山 大瀧山<高凡七十八丈、周回欠ク、村ノ東南ニアリ、嶺上ヨリ三分シ、東ハ長谷村・八戸地村ニ属シ、南ハ大川村・富室村・河原村ニ属シ、西ハ本村ニ属ス、山脈由良ヶ嶽ニ連亘ス、樹木鬱葱ス、登路三条、一ハ本村南方字鳶ノ巣ヨリ上ル昇リ四丁五十五間、易ナリ、一ハ本村南方字犬石ヨリ上ル昇リ三丁五十七間半、険ナリ、一ハ本村東南字小倉口ヨリ上ル昇リ四丁五十間、易ナリ、渓水一条、同上山間ヨリ発シ末岡田川ニ入ル、深一寸、巾二尺一寸、長十七丁四十六間>、嶽原山<高凡七十八丈、周回欠ク、村ノ東北ニアリ、嶺上ヨリ三分シ、東ハ長谷村ニ属シ、北ハ上漆原村ニ属シ、西南ハ本村ニ属ス、山脈由良ヶ嶽ニ亘ル、樹木鬱葱セリ、登路一条、本村北方字長谷口ヨリ上ル昇リ凡三丁、険ナリ>、大成山<高凡六十六丈、周回欠ク、村ノ西北ニアリ、嶺上ヨリ三分シ、西ハ河原・下見谷ノ両村ニ属シ、北ハ上漆原村ニ属シ、東南ハ本村ニ属ス、山脈宇ノ尾・赤岩ヶ嶽等ニ亘ル、樹木鬱葱セリ、登路二条、一ハ本村西北方字釘貫ヨリ上ル昇リ凡四丁、険ナリ、一ハ本村北方字和谷ヨリ上ル昇リ四丁四十三間、険ナリ>

●川 岡田川<深所二尺、浅所二寸、広所四間半、狭所三間二分、清ニシテ急、北方上漆原村界ヨリ来リ、本村字清水ニ至リ長谷川ヲ合セ、西南方河原村界ニ入ル、長三十二丁二十七間>、長谷川<岡田川支流、其巾二間、深三寸、清ニシテ急、東北方長谷村界ヨリ来リ、本村字清水ニ至リ岡田川ニ入ル、長六丁五十三間>、モミノ木橋<宮津往還ニ属ス、架シテ村ノ南方岡田川上流ニアリ、橋長六間、巾三尺、木製>、段橋<同上、架シテ村ノ南方岡田川上流ニアリ、橋長五間半、巾三尺、木製>、小倉橋<同上、架シテ村ノ南方岡田川上流ニアリ、長五間半、巾三尺、木製>、ヲサ橋<同上、架シテ村ノ南方岡田川上流ニアリ、長五間半、巾三尺、木製>、モミノ木溝<岡田川分水ニシテ、本村字モミノ木ヨリ起リ、字同所ノ田五反五畝四歩ノ用水ニ供シ、字今溝ニ至テ岡田川ニ帰ス、長二丁二十二間、巾二尺>、ソオコタ溝<本村字枠ノ内ヨリ派流シ、字ソオコダニ至リ田ニ入ル、長三丁三十六間、巾二尺、田二丁壱反七畝拾歩ノ用水ニ供シ、同所下ニ至リ岡田川ニ帰ス>、宮ノ下溝<本村字宮ノ下ヨリ派流シ、同所ノ田弐丁壱反二歩ノ用水ニ供シ、字早稲田ニ至テ岡田川ニ帰ス、長二丁五十七間、巾二尺>、山角溝<本村字小倉口ヨリ派流シ、字山角ノ田ニ入リ、壱丁八反六畝拾弐歩ノ用水ニ供シ、同所下ニテ岡田川ニ帰ス、長七丁三十六間、巾二尺>、以下小溝多ケレトモ略ス

●道路 宮津往還<村ノ南方河原村界ヨリ北方上漆原村界ニ至ル、長三十二丁八間、巾一間、本村字エンユウヨリ西ニ折レ下見谷村ニ通ス、又同所ヨリ東ニ折レ冨室及八戸地二村ニ通ス、又字小倉口ヨリ東ニ折レ八戸地村ニ通ス、又字清水ヨリ東ニ折レ長谷村ニ通ス、又字和谷口ヨリ西ニ折レ下見谷村ニ通スル、五支道アリ>、村道<村ノ西方下見谷村界ヨリ北方上漆原村界ニ至ル、長二丁三尺、巾五尺>

●堤塘 岡田川堤<岡田川ニ沿ヒ、村ノ南方河原村界ヨリ北方上漆原村界ニ至ル、長三十一町四十八間半、馬踏平均五尺、堤敷平均八尺、根堅メ小竹アリ、修繕費用ハ官民両途ニ属ス、下同シ>、長谷川堤<長谷川ニ沿ヒ、本村元標字清水ヨリ東方長谷村界ニ至ル、長五十九間半、馬踏平均二尺、堤敷平均三尺>

●社 宮山神社<村社々地、東西五十間、南北五十八間、面積八百四十九坪、本村西南方字宮山ニアリ、大山咋命ヲ祭ル、其他来歴不詳、祭日十月十八日、境内末社一座アリ>、稲荷神社<社地東西二間、南北二間、面積四坪、本村東方字オソマニアリ、保食神・大己貴神・少彦名神ヲ祭ル、其他由緒詳ナラス、祭日八月七日>

●物産 串柿<二百五十束>、舞鶴ニ輸送ス、生糸<六十二斤半>、宮津港ニ輸送ス、楮皮<六百貫目>、櫨実<四百貫目>、炭<百駄>、以上由良湊ニ輸送ス>

●民業 男<農・桑・薪・炭ヲ兼業スル者五十九戸>、女<農・桑ヲ業トスル者四十五人、農・桑・養蚕ヲ兼業スルモノ四十五人>

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