夏間村 郡村誌

現在の福知山市大江町夏間(ナツマ)。明治17年当時、戸数 39戸、社6戸、計45戸、人数 男103口、女90口、総計193口。

・出典 京都府地誌32~35加佐郡村誌1~4、京都府庁文書、京都府立京都学・歴彩館所蔵

      村誌

丹後國加佐郡夏間(ナツマ)村

本村古来ヨリ河守郷ニ属ス、前後分合変換ナシ

●疆域  東ハ同郡在田村ト山嶺或ハ耕地ヲ以テ界ス、然トモ境界錯雑シテ分明ナラス、西ハ日藤村及ヒ丹波國天田郡下天津村ト大雲川中央ヲ以テ界シ、南ハ同郡筈巻村ト山嶺を以テ界シ、北ハ本郡公庄村ト又大雲川中央ヲ以テ界ス

●幅員 東西九丁四十六間、南北十三丁二十間、面積欠ク

●管轄沿革 天正中ヨリ細川藤孝領地タリ、慶長五年庚子、細川氏豊前國小倉ニ移リ京極高知代リ領ス、寛文八年戊申、京極氏但馬國豊岡ニ移ル、是ニ於テ本村ヲ二部ニ区分シ、一ハ牧野親成領有ニ帰シ累世相続キ、明治二年弼成ニ至リ版籍返上、尚オ舞鶴藩知事トナツテ之ヲ領ス、同四年更ニ舞鶴県管轄トナル、一ハ永井尚征ノ領地トナリ、延宝八年庚申ニ至リ更ニ生野代官ノ支配ニ帰シ、延宝九年辛酉、阿部正森ノ所領トナリ、元禄十年丁丑、阿部氏下野國宇津宮ニ移リ奥平氏代リ領ス、享保二年丁酉、奥平氏豊前國中津ニ移リ青山幸秀代リ領ス、同年七月ヨリ更ニ久美濵代官ノ支配タリシカ、明治二年ニ至リ久美濵県管轄ニ帰ス、以上共ニ明治四年九月ニ至リ豊岡県所管トナリ、九年八月、更ニ京都府管轄ニ帰ス

●里程 京都府庁ヨリ西北方本村元標ニ達スル凡二十三里余、宮津支庁ヨリ南方凡七里余、四隣東在田村ヘ九丁四十九間五分<実測>、西日藤村ヘ十一丁、南天田郡筈巻村界ヘ五丁三十間<実測>、北公庄村ヘ十二丁五十間

●地勢 東南山嶺ヲ負ヒ西北大雲川ニ沿フ、河辺ハ平坦ナリト雖西部ハ磽确ナリ、本村概坂路ニテ運輸便ナラス、而シテ薪炭ハ足ル

●地味 其色赤小砂ヲ混ス、其質下等、稲禾ニ適セスシテ大豆・黄粱ニ宜シ、水利ハ不便ナリ

●税地 田<拾丁六反四歩>、畑<拾丁二反八畝弐拾弐歩>、宅地<壱丁弐反五畝拾六歩>、山<反別欠ク>、藪地<六反九畝拾四歩>、総計<廿弐丁八反三畝廿六歩、外荒地三反壱畝拾三歩>

●飛地 本村北方在田村ノ内、畑<壱丁弐反三畝拾九歩>

●字地 中山<村ノ南ニアリ、下同シ、東西五丁五十間、南北四丁四十間>、森<東西二丁二十五間、南北三丁五十間>、猪ノ奥<東西十一丁、南北五丁>、大久茂<村ノ東ニアリ、下同シ、東西五十間、南北四十九間>、大谷<東西七丁三十間、南北五丁四十間>、晝ヶ谷<東西三丁、南北二丁>、宮ノ谷<東西二丁五十間、南北二丁>、上嶋<村ノ西ニアリ下同シ、東西三丁八間、南北一丁四十間>、座入<東西二丁四十二間、南北一丁>、平<東西二丁、南北一丁五十間>、深田<東西三十五間、南北二丁>、上路<村ノ中央ニアリ、東西三丁四間、南北一丁五十間>、丁田<村ノ北ニアリ、下同シ、東西二丁四十間、南北一丁八間>、安場<東西二丁七間、南北一丁二十五間>、金剛院畑<東西二丁二十間、南北一丁二十五間>、雲部<東西二丁十二間、南北一丁十間>、麻町<東西一丁五十六間、南北一丁五十間>、瀨ノ爪<東西一丁三十間、南北一丁三十間>

●貢租 地租<金弐百廿四円三拾七銭九厘>、山税<金壱円壱銭弐厘>、国税<金廿銭>、総計<金弐百廿五円五拾九銭壱厘>

●戸数 本籍三十九戸<平民>、社六戸<村社一座、無格社五座>、総計四十五戸

●人数 男百三口<平民>、女九十口<平民>、総計百九十三口

●牛馬 牡牛九頭、牝牛十五頭、総計二十四頭

●舟車 日本形舩二艘<五十石未満荷舟一艘、漁船一艘>

●山 闔境山岳起伏スレトモ一帯山脈ニシテ特ニ表出スヘキナシ、因テ略ス

●川 大雲川<二等河ニ属ス、深所一丈余、浅所五尺、広所四十五間、狭所二十間、清ニシテ緩、舟筏通ス、村ノ西南方丹波國天田郡筈巻村界ヨリ来リ、北方本郡在田村界ニ入ル、長凡十丁>、座入溝<源ヲ本村南方字森ヨリ発シ、曲流シテ西ニ赴キ字江口ニ至リ大雲川ニ入ル、長五丁五十間、巾三尺、田三丁四畝八歩ノ養水トス>、瀧ノ下溝<源ヲ本村ノ南方字猪ノ奥ヨリ起シ、西ニ流レ東方在田村界ニ入ル、長十一丁四十間、巾三尺、田三丁二反八畝八歩ノ養水トス>、大谷溝<源ヲ村ノ南方字大谷ヨリ発シ北流シ東北方在田村界ニ入ル、長十二丁二十間、巾三尺、田三丁二反歩ヲ灌漑ス>

●湖沼 坂田池<東西二十三間、南北十三間半、周回一丁五間、村ノ西ニアリ、田若干歩ノ用水トス>

●道路 村道<西方丹波國天田郡筈巻村界ヨリ東方在田村界ニ至ル、長九丁四十間、巾六尺>

●堤塘 大雲川堤<大雲川ニ沿ヒ、北方字瀬ノツメヨリ東北方在田村界ニ至ル、長五十二間、馬踏・堤敷共ニ五間、修繕費用ハ官ニ属ス

●社 五宮神社<村社々地、東西十五間、南北十六間、面積七十坪、村ノ東北ニアリ、誉田別命ヲ祭ル、古来ノ沿革詳ナラス、下同シ、祭日九月十五日、境内末社一座アリ>、竈三神社<社地東西十三間、南北十九間、面積百七坪、村ノ東ニアリ、興津日子神・興津比賣神・火皇産霊神ヲ祭ル、祭日十一月八日、境内末社一座アリ>、愛宕神社<社地東西二間半、南北二間、面積五坪、村ノ東ニアリ、迦具土命ヲ祭ル、祭日六月二十四日>、若宮神社<社地東西三間、南北四間、面積八坪余、村ノ南ニアリ、武内宿称(祢ヵ?)ヲ祭ル、祭日十一月八日、境内末社一座アリ>、市杵嶋神社<社地東西一間、南北一間、面積一坪、村ノ南ニアリ、市杵島比賣命ヲ祭ル、祭日九月一日>、山祇神社<社地四履欠ク、面積二坪九分、村ノ西方字平ニ鎮座ス、大山祇命ヲ祭>

●物産 藍<凡二百貫目>、繭<凡五百貫目>、薪<凡二千貫目>、以上多クハ河守町ニ輸送ス

●民業 男<農・桑ヲ業トスル者三十七戸、農ニシテ日雇稼ヲ兼ヌル者二戸>、女<農・桑ヲ業トスル者五十三人、雑業二人>

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