吉野村 郡村誌

現在の舞鶴市吉野(ヨシノ)。明治17年当時、戸数 27戸、人数 男69口、女64口、総計133口。

・出典 京都府地誌32~35加佐郡村誌1~4、京都府庁文書、京都府立京都学・歴彩館所蔵

    村誌 

丹後國加佐郡吉野(ヨシノ)村

本村往古志楽郷ニ属シ朝来谷ノ部内タリ、旧ト下谷村ト称セシヲ明治五年十一月、今ノ称ニ改ム

●疆域  東ハ同郡岡安・白屋ノ両村ト耕地或ハ山林ヲ以テ界シ、南ハ安田・田中・泉源寺ノ三村ト字奥山ヲ以テ界シ、西北二方ハ朝来中村ト耕地或ハ山林ヲ以テ界ス

●幅員 東西九町五十間、南北八町、面積欠ク

●管轄沿革 円満寺村誌ニ同シ

●里程 京都府庁ヨリ西北方本村元標ニ達スル廿七里廿七町五十四間、宮津支庁ヨリ東南方凡十里、四隣東白屋村ヘ四町三間<実測>、北朝来中村ヘ七町五間八分、東北岡安村ヘ八町三十間<実測>

●地勢 南方山ヲ負ヒ三面耕地ニ接ス、民居ハ総テ山間ニアリ、運輸不便薪炭乏シ

●地味 黒色砂礫ヲ混ス、其質下等、稍稲禾ニ適ス、水利不便ニシテ時々旱ニ苦シム、而シテ霖雨ノ際ハ時トシテ水難アリ

●税地 田<廿丁九反六畝八歩>、畑<四丁壱反壱畝廿弐歩>、宅地<七反九畝壱歩>、山<反別欠ク>、総計<廿五丁八反七畝壱歩、外荒地八反弐歩>

●字地 五反田<村ノ西ニアリ、東西五丁五十間、南北二丁三十五間>、西ノ下<同上、東西三丁二十間、南北一丁二十間>、縄手下<村ノ北ニアリ、東西五丁二十間、南北二丁>、タノキカケ<村ノ東ニアリ、東西一丁五十五間、南北二十間>

●貢租 地租<金三百三円九十銭三厘>、山税<金三拾四銭五厘>、国税<金四円弐銭>、総計<金三百八円廿六銭八厘>

●戸数 本籍二十七戸<平民>

●人数 男六十九口<平民>、女六十四口<平民>、総計百三十三口

●牛馬 牝牛八頭

●山 奥山<田中村ニテハ威光山ト称ス、高凡九十丈、周回三十丁、村ノ南ニアリ、嶺上ヨリ二分シ、南ハ田中村ニ属シ、北ハ本村ニ属ス、山脈東西ニ連亘ス、樹木生セス、全山唯柴芽ヲ見ルノミ、登路一条、鳥逕獣路ノミ、渓水一条、山間ヨリ発シ、北流シテ本村字イシリニ至リ白屋川ニ入ル、長三丁廿間、巾四尺>

●川 朝来川<深所二尺、浅所一尺、広所四間、狭所三間、濁ニシテ緩ナリ、海水逆行シテ鹹味ヲ含ム、北方朝来中村界ヨリ来リ、本村字落合ニ至リ白屋川ヲ容レ、西方朝来中村界ニ入ル、長七丁三十間>、白屋川<深所一尺、浅所五寸、濁ニシテ緩ナリ、海水逆行シテ鹹味ヲ含ム、東方白屋・岡屋(安ヵ?)両村界ヨリ来リ、本村字落合ニ至リ朝来川ニ入ル、長五丁五十間>、落合橋<村道ニ属ス、架シテ村ノ西方朝来川ニアリ、橋長二間半、巾五尺、木製、以下同シ>、白屋川橋<同上、架シテ村ノ北方白屋川ニアリ、橋長二間半、巾一間>、朝来川橋<同上、架シテ村ノ北方朝来川ニアリ、橋長三間、巾一間>

●道路 村道<村ノ西方朝来中村界ヨリ東方白屋村界ニ至ル、長六丁九間七分、巾一間、村ノ西方字西ノ下元標ヨリ東折シ白屋村・岡安村ヘ通スル両支道アリ、又字西ノ下ヨリ北折シ朝来中村ヘ通スル支道アリ>

●堤塘 朝来川堤<朝来川ニ沿ヒ、村ノ北方朝来中村界ヨリ本村西方ニ至リ又朝来中村界ニ至、長六丁三十間、馬踏一間、堤敷三間半、水量定杭長九尺、修繕費用官民両途ニ属ス>、白屋川堤<白屋川ニ沿ヒ、村ノ東方白屋村界ヨリ本村字西ノ下ニ至ル、長五丁五十間、馬踏五尺、堤敷一間半、水量定杭長七尺、修繕費用上ニ同シ>

●民業 男女挙テ農ニ従事シ、傍採桑ヲナス

関連する歴史の人物

関連する人物はいません。