現在の舞鶴市三浜(ミハマ)。明治17年当時、戸数 59戸、社2戸、寺1戸、総計62戸、人数 男136口、女142口、総計278口。
・出典 京都府地誌32~35加佐郡村誌1~4、京都府庁文書、京都府立京都学・歴彩館所蔵
村誌
丹後國加佐郡三濵(ミハマ)村
本村古時凡海郷ニ属シ大浦ノ部内タリ、前後分合変換ナシ
●疆域 東ハ同郡小橋村ト字種田山及耕地ヲ以テ界スト雖境界錯雑シテ分明ナラス、西南ハ多稱(禰ヵ?)寺村・瀬﨑村ニ対シ諸山嶺ヲ以テ界シ、北ハ海ニ面ス
●幅員 東西三十九町、南北十八町二十間、面積欠ク
●管轄沿革 円満寺村誌ニ同シ
●里程 京都府庁ヨリ西北方本村元標ニ達スル凡三十里二十五町、宮津支庁ヨリ東北方凡十二里廿五町、四隣東小橋村ヘ五町四十五間<実測>、南赤野村ヘ■里三町三十三間<実測>
●地勢 西南連山重畳シ、東面小橋村ノ耕地ニ接シ、北方一帯外洋ニ枕ム、土地狭迫、運輸梢便薪炭多シ
●地味 其色赤黒錯雑小砂ヲ混ス、其質中等、稲粱ニ可ナリ、水利ハ不便ニシテ時々旱害アリ
●税地 田<弐拾壱丁四反五畝九歩>、畑<四丁弐畝六歩>、宅地<壱丁弐反八畝壱歩>、山<反別欠ク>、総計<弐拾六丁七反五畝拾六歩、外荒地弐反弐畝弐拾九歩>
●字地 村中<村ノ中央ヲ云、東西四丁、南北三十間>、宮ノ後<山ノ西ニアリ、東西一丁、南北四十間>、丸山<中田ノ北ニアリ、東西五十間、南北三十間>、中田<丸山ノ南ニアリ、東西三丁廿間、南北三丁廿間>、種田<中田ノ南ニアリ、東西三丁四十間、南北三丁二十間>、里道<種田ノ西ニアリ、東西五十間、南北五丁>
●貢租 地租<金三百拾弐円八拾八銭七厘>、山税<金五円七拾七銭四厘>、国税<金拾円>、総計<金三百弐拾八円六十六銭壱厘>
●戸数 本籍五十九戸<平民>、社二戸<村社一座、無格社一座>、寺一戸<禅宗>、総計六十二戸
●人数 男百三十六口<平民>、女百四十二口<平民>、総計二百七十八口
●舟車 日本形舩五十七艘<五十石未満農業舩三十艘、漁舩廿七艘>
●山 豆ヵ平山<高百丈余、周回欠ク、村ノ西南ニアリ、嶺上ヨリ二分シ、西南ハ多称(祢ヵ?)寺村・瀬﨑村ニ属シ、東北ハ本村ニ属ス、山脈西南ニ連■ス、全山樹木少シ柴草茂生ス、登路数条余アリ、共小逕ニシテ纔ニ樵者ヲ通スルノミ>、以下小峰ハ欠ク
●川 大川<深六寸、巾二間、清ニシテ緩、村ノ南方山間ヨリ発水シ北流シテ外洋ニ注ク、長十三丁廿三間>、小河溝<本村山間ヨリ流出シ下流大河ニ入ル、以下同シ、長八丁廿間、巾四分、田若干歩ノ用水トス>、森ノ越溝<長五丁、巾四分>、葉仁輪溝<長八丁廿間、巾五分>、以下小溝ハ欠ク
●森林 老人嶋林<野原村誌ニ詳ナリ>、葛嶋林<小橋村誌ニ詳ナリ>
●道路 村道<村ノ南方多称(祢ヵ?)寺村界ヨリ東方小橋村界ニ至ル、長廿五丁五十五間、巾一間>
●嶋 磯葛嶋・沖葛嶋<共ニ村ノ北ニアリ>、アンジャ嶋<村ノ東北ニアリ>以上各嶋小橋村誌ニ詳ニス、老人嶋<野原村誌ニ詳ナリ>
●社 松原神社<村社々地、東西八十間、南北三十間、面積二千四百坪、村ノ東ニアリ、祭神及勧請年紀詳ナラス、祭日八月廿四日、境内末社四座アリ>、山神社<社地四覆欠ク、面積二百五十二坪、本村南方字森ノ越ニアリ、大山祇命ヲ祭ル、由緒祭日共ニ詳ナラス>
●寺 海蔵寺<境内東西五間、南北九間半、面積欠ク、村ノ西南ニアリ、禅宗、本郡田井村海臨寺末、建久二年辛亥七月、僧香巖再建ス、里人云、当寺往古天台宗ニシテ永源山徳雲寺ト称シ、老人嶋明神ノ別当寺タリ、建久二年辛亥焼失ス、尓後改テ今ノ宗トナスト>
●学校 人民共立小学校一所<村ノ南ニアリ、生徒男廿八人、女八人>
●物産 薪<七百貫目>、炭<百俵>、海草<百貫目>、以上近傍各村ニ販売ス
●民業 男<農ニシテ漁猟ヲ兼ヌル者五十九戸>、女<農ヲ業トスル者七十人、余ハ雑業>