現在の舞鶴市室牛(ムロジ)。明治17年当時、戸数 14戸、社2戸、総計16戸、人数 男31口、女30口、総計61口。
・出典 京都府地誌32~35加佐郡村誌1~4、京都府庁文書、京都府立京都学・歴彩館所蔵
村誌
丹後國加佐郡室牛(ムロウジ)村
本村古時神戸郷ニ属ス、然トモ此郷名今全ク湮滅シ、近古ヨリ志楽郷ニ属セシ者ノ如シ、本村以下十一ヶ村、即チ<平村・西屋村・赤野村・多稱(禰ヵ?)寺村・中田村・河辺中村・河辺由里村・観音寺村・河辺原村・杤尾村・大山村>ヲ総称シテ河邉ノ庄ト称セシヲ以テスレハ、文字ハ相違スレトモ訓ノ通スルヲ以テ中古郷名ヲ転シテ庄名トナセシモノナルカ、他ニ考証スヘキナシ
●疆域 東ハ同郡河邉原村ト耕地ヲ以テ界シ、西ハ西屋村ト字中河原ノ渓谷ヲ以テ界シ、南ハ大波上村及ヒ朝来中村ト山嶺ヲ以テ界シ、北ハ河邉由里村ト耕地ヲ以テ界ヲ限ル
●管轄沿革 円満寺村誌ニ同シ
●里程 京都府庁ヨリ西北方本村元標ニ達スル凡二十九里三十五町、宮津支庁ヨリ東北方凡十一里三十五町、四隣北河辺由里村ヘ五町十五間<実測>、西西屋村ヘ七町四十六間<実測>
●地勢 東南山岳重畳シ、西北平濶、田圃闢ケタリ、運輸不便薪炭乏シカラス
●地味 其色黒白相交リ少シク砂礫ヲ混ス、其質中等、稍稲禾ニ適スルノミ、水利ハ便ナレトモ時々水害ヲ蒙ムル事アリ
●税地 田<九丁五反七畝三歩>、畑<三丁壱反弐畝拾九歩>、宅地<四反五畝四歩>、山<反別欠ク>、薮地<八畝五歩>、総計<拾三丁弐反三畝壱歩、外荒地弐丁四畝弐拾五歩>
●字地 折戸<村ノ北方ニアリ、東西三丁二十間、南北三丁>、中坪<同上、東西三丁、南北五十間>、長■<同上、東西一丁三十四間、南北四十間>、堂下<村ノ西方ニアリ、東西一丁二十間、南北三十五間>
●貢租 地租<金百廿四円拾弐銭七厘>、山税<金廿銭六厘>、総計<金百二十四円三拾三銭三厘>
●戸数 本籍十四戸<平民>、社二戸<無格社>、総計十六戸
●人数 男三十一口<平民>、女三十口<平民>、総計六十一口<他出寄留男一人>
●牛馬 牝牛四頭
●山 奥山<高百四十八丈、周回欠ク、村ノ南ニアリ、嶺上ヨリ三分シ、東南面ハ朝来中村ニ属シ、西南面ハ大波上村ニ属シ、北面ハ本村ニ属ス、山脈東西ニ連亘ス、樹木稀生ス、登路一条、本村字奥山ヨリ上ル昇リ八丁、険ナリ、渓水一条、山間ヨリ発シ下流折戸川トナル>
●川 折戸川<本村南方字奥山ヨリ発水シ、村ノ中央ヲ過キ、字堂ノ下ニ至リ河辺川ニ入ル、長八丁、巾一間、深一尺、清ニシテ急>、河邉川<深二尺、巾四間、清ニシテ急、東方河辺原村界ヨリ来リ西方西屋村界ニ入ル、長八丁>、折戸橋<村往還ニ属ス、架シテ村ノ北方河辺川上流ニアリ、長四間、巾三尺、木製、下同シ>、村中橋<同上、架シテ村ノ中央河辺川ニアリ、長一間半、巾五尺>、折戸溝<河辺川下流ヨリ分水シ、本村ノ田若干歩ヲ養ヒ下流折戸川ニ入ル、長二丁三十間、巾二分>、以下小溝アレトモ欠ク
●道路 村道<北方河辺由里村界ヨリ西方西屋村界ニ至ル、長八丁十九間、巾四尺>
●堤塘 河辺川堤<河辺川ニ沿ヒ、東方河辺原村界ヨリ西方西屋村界ニ至ル、長六丁五十八間、馬踏一間、堤敷一間半、修繕費用ハ官民両途ニ属ス>
●社 天照皇大神<社地東西十間、南北九間、面積百坪、村ノ西ニアリ、天照大神ヲ祭ル、由緒詳ナラス、祭日六月十一日>、山神社<社地東西十五間、南北十二間、面積百八十坪、村ノ南ニアリ、大山祇命ヲ祭ル、祭日詳ナラス>
●物産 苧<七貫目>、繭<四十五貫目>、以上舞鶴市街ニ輸送ス
●民業 男<農ヲ業トスル者十四戸>、女<農ヲ業トスル者十七人>