現在の舞鶴市小橋(オバセ)。明治17年当時、戸数 69戸、社2戸、寺1戸、総計72戸、人数 男170口、女179口、総計349口。
・出典 京都府地誌32~35加佐郡村誌1~4、京都府庁文書、京都府立京都学・歴彩館所蔵
村誌
丹後國加佐郡小橋(ヲバシ)村
本村古時凡海郷ニ属シ大浦ノ内タリ、前後分合変換ナシ
●疆域 東ハ同郡野原村ト字地蔵峠ヲ以テ界シ、南ハ観音寺村ト字大谷山ヲ以テ界シ、西ハ三濵村ト字重野山ヲ以テ界スト雖トモ境界錯雑シテ分明ナラス、北ハ外洋ニ面フ
●幅員 東西十二町、南北二十町、面積欠ク
●管轄沿革 円満寺村誌ニ同シ
●里程 京都府庁ヨリ西北方本村元標ニ達スル凡三十里二町、宮津支庁ヨリ東北方凡十二里三十二町、四隣西三濵村ヘ五町四十五間<実測>、東野原村ヘ二十八町廿二間<実測>
●地勢 東南山岳重畳シ北方一帯外洋ニ面フ、平坦ノ地ハ唯西部ノミ、舟楫ノ利極テ便ナリ、薪炭ハ極テ乏シ
●地味 其色赤黒錯雑小砂ヲ混ス、其質中等、稲禾ニ宜シクシテ桑・茶ニ可ナラス、水利ハ甚不便ニシテ常ニ旱害アリ
●税地 田<拾四丁七畝廿八歩>、畑<弐丁四反八畝七歩>、宅地<壱丁壱反八畝壱歩>、山<反別欠ク>、薮地<壱畝拾弐歩>、総計<拾七丁七反五畝拾八歩、外荒地壱畝九歩>
●飛地 本村西南方三濵村ノ内、田<五反拾弐歩>
●字地 縄手<本村ノ東ニアリ、東西三丁二十間、南北二丁五十間>、中田<村ノ西ニアリ、東西二丁、南北二丁三十間>、古ス<中田ノ西ニアリ、東西一丁五十間、南北二丁四十間>、重野<村ノ南ニアリ、東西四丁五十間、南北四丁四十間>
●貢租 地租<金弐百四円四拾四銭三厘>、山税<金三拾弐銭壱厘>、国税<金拾九円>、総計<金弐百拾三円七拾六銭四厘>
●戸数 本籍六十九戸<平民>、社二戸<村社一座、無格社一座>、寺一戸<禅宗>、総計七十二戸
●人数 男百七十口<平民>、女百七十九口<平民>、総計三百四十九口
●舟車 日本形舩五十三艘<五十石未満農業舩二十一艘、漁舟三十二艘>
●山 大谷山<高百三十丈、周回欠ク、村ノ南方ニアリ、嶺上ヨリ四分シ、南ハ観音寺村ニ属シ、東ハ野原村ニ属シ、西ハ三濵村ニ属シ、北ハ本村ニ属ス、山脈北方ニ蜒蜿シテ海濵ニ至リテ尽ク、樹木生セス満山唯柴芽ヲ見ル>
●川 大谷川<深二尺、巾一間半、長廿丁四十間、清ニシテ緩、村ノ南方観音寺村界ヨリ来リ、本村字古洲ニ至リ西方三濵村界ニ入ル>
●森林 葛嶋(カツラシマ)林<官ニ属ス、四覆欠ク、反別弐丁壱反九畝八歩、村ノ北ニアリ>、老人嶋林<官ニ属ス、四覆欠ク、反別弐丁六反歩、村ノ北ニアリ、本村及ヒ同郡野原村・三濵村ノ共有ナリ、長一間囲一尺以下桐二株、長一間囲七尺以下雑木百十八坪>
●道路 村道<西方三濵村界ヨリ東方野原村界ニ至ル、長十一丁、巾八分>
●嶋 磯葛(イソカツラ)嶋<東西一丁二十五間、南北三丁五十間、周回二十一丁、村ノ北方海上直径八丁四十間ヲ隔ツ、全嶋小竹茂生ス>、沖葛嶋<東西四十間、南北一丁三十間、周回詳ナラス、村ノ北方海上直径十一丁ヲ隔ツ、全嶋小竹及ヒ柴草生ス>、アンジャ嶋<東西一丁半、南北同上、周回十丁、村ノ北方ニアリ、干潮ノ際ハ陸地ト連続シテ半嶋形ヲナシ、進潮ノ時ハ断テ一嶋トナル、満嶋樹木茂生ス>、老人嶋<事ハ野原村誌ニ詳ニス>
●社 小橋神社<村社々地、東西廿五間、南北三十間、面積五百六十五坪、村ノ西北ニアリ、祭神詳ナラス、俚俗云、本村北方磯葛嶋中ノ西南ヲ字宮城ト云フ、往古此所ニ葛嶋神社アリシヲ白鳳中地震ニ由テ水中ニ陥没ス、因テ該社ヲ当若宮神社ニ合祀セリ、然ルニ慶長中ニ至リ、更ニ分割シテ葛嶋神社ヲ以テ本社トス、尓来若宮大明神ト称セシヲ明治維新ノ際、改メテ小橋神社トス、祭日九月廿四日>、愛宕社<社地東西二間、南北三間、面積六坪、村ノ北方海濱ニアリ、迦具搥命ヲ祭ル、由緒詳ナラス、祭日陰暦六月二十三日>
●寺 海嶠庵<境内東西十一間、南北十一間八分、面積百四十九坪、村ノ東ニアリ、禅宗、本郡田井村海臨寺末、元禄十四年辛巳七月、僧静山開基創建ス、其後衰微セシヲ明和八年辛卯五月、僧上玄中興ス>
●物産 鯔<一万尾>、右舞鶴市街ニ販売ス
●民業 男<農ヲ業トスル者十五戸、漁猟スル者五十四戸>、女<各夫業ニ従フ>