現在の舞鶴市松尾(マツノオ)。明治17年当時、戸数 38戸、社1戸、寺3戸、総計42戸、人数 男84口、女127口、総計211口。
・出典 京都府地誌32~35加佐郡村誌1~4、京都府庁文書、京都府立京都学・歴彩館所蔵
村誌
丹後国加佐郡松尾(マツノヲ)村
本村往古志樂郷ニ属シ志樂谷<市場・泉源寺・田中・安岡・小倉・鹿原・吉坂・松尾>ノ部内タリ、元合一ニシテ日下部村ト称シ、又春日部村ト唱ヘシヲ可レノ頃カ分割シ、各其村称ヲ用ウ<田辺府志曰、市場村ヨリ松尾村迄志樂庄ト云、元来日下部村ト云、古来奈良西大寺領地也、収物滞ニ付一色左京太夫ヲ頼ミ田中ノ大嶋但馬ヲ頼ミテ納米取立奈良ニ送ル、併シ労シテ無功事ユヘ後ハ但馬押領ス、其后大嶋御家人トナル、地頭替但シ日下部村春日大明神ノ社頭故春日部村ト云フトアリ>
●疆域 東ハ若狭國大飯郡今寺村ト青葉山東面ヲ以テ界シ、西ハ本郡白屋・長内・吉坂ノ三村ト山ヲ以テ界シ、南ハ大飯郡六路谷村・蒜畑村ト山嶺ヲ劃リ、北ハ本郡杦山村ト南谷川中央ヲ以テ界シ、東北隅ハ大飯郡山中村ト繞ニ山嶺ヲ以テ界ヲ接ス
●幅員 東西十一町、南北三十一町、面積欠ク
●管轄沿革 円満寺村誌ニ同シ
●里程 京都府庁ヨリ西北方本村元標ニ達スル凡二十八里十九町、宮津支庁ヨリ東南方凡十一里、四隣東若狭国大飯郡今寺村ヘ五町<実測>、北本郡杦山村ヘ十八町五間<実測>、西吉坂村ヘ二十一町三十間<実測>
●地勢 全境山岳屏列シ土地高燥ナリ、人家ハ青葉山半腹ニアリ、運輸不便薪足リ炭乏シ
●地味 黒色上等質タリ、然トモ耕田高塏渓水寒冽ナルヲ以テ稲禾ニ適セス、只麦ニ可ナルノミ、水利不便ニシテ時々旱害アリ
●税地 田<拾三町三畝弐拾三歩>、畑<拾四町壱反七畝拾四歩>、宅地<壱町七反七畝弐拾三歩>、山<反別欠ク>、薮地<三畝拾九歩>、総計<弐拾九町弐畝拾九歩、外荒地壱町五反四歩>
●字地 上畑<村ノ北ニアリ、東西五町、南北五町>、西荒田<村ノ西ニアリ、東西一町、南北八町>、東荒田<村ノ東ニアリ、東西七町、南北一町>、横山<同上、東西一町、南北一町>
●貢租 地租<金百七拾八円七拾九銭三厘>、山税<金壱円壱銭壱厘>、総計<金百七拾九円八拾銭四厘>
●戸数 本籍三十八戸<平民>、社一戸<村社>、寺三戸<真言宗>、総計四十二戸
●人数 男八十四口<平民>、女百二十七口<平民>、総計二百十一口
●牛馬 牡牛三頭、牝牛五頭、総計八頭
●山 青葉山<一ニ松尾山ト云フ、高三百六十丈、周回凡五里、村ノ北ニアリ、嶺上ヨリ三分シ、東面ハ大飯郡今寺村ニ属シ、西北面ハ本郡杦山村ニ属シ、南面ハ本村ニ属ス、山脈孤立ス、樹木欝葱タリ、登路一条、本村字寺地ヨリ上ル昇リ二十五町、険ナリ、渓水一条、本村字寺地ヨリ発注シ西南流シ志楽川水源トナル>
●川 志樂川<深五尺、巾一間半、清ニシテ急、源ヲ北方青葉山字寺地ヨリ発シ、村内所々ノ細流ヲ合セ、西南ニ流レ吉坂村界ニ入ル、長八町>
●道路 村道<西南吉坂村界ヨリ本村字寺地ニ至ル、此間長十四町、巾一間半、下同シ、同所ヨリ支分シ両線トナル、一ハ東方大飯郡界ニ至ル、此間長六町四十間、一ハ北方本郡杦山村界ニ至ル、長五町>
●社 六所神社<村社々地、東西十間三尺、南北十七間半、面積百八十三坪、村ノ東北ニアリ、白山神・冨士山神・笠津彦神・笠津姫神・熊野神・藏王神ヲ祭ル、相伝フ、旧ト村内所々ニ散在セシヲ天正中合祀スト>
●寺 松尾寺<境内東西五十一間、南北五十二間、面積二千四百十八坪、真言宗、山城国宇治郡三宝院末、村ノ北方青葉山腹ニアリ、和銅中、僧道玄開基、養老中ニ至リ僧泰澄、当山絶頂ヲ開拓シ観音ノ像ヲ安ス、当時元正・聖武両帝ノ勅願所タリ、降テ永延中ニ至リ花山法皇巡幸アリテ、当寺ヲ以テ西国第二十九番霊刹トセラル、正暦中、結城光心中興ス、元永中、僧惟尊中興ス、当時支院六十五宇アリ、寛永七年庚午八月火災ニ罹リ堂宇全ク烏有トナル、尓後再建セシヲ正徳六年丙申三月復災ニ遇フ、享保十五年庚戌九月再建スト>、池ノ坊<境内東西七間半、南北七間、面積三十一坪、真言宗、同村松尾寺末、下同シ、村ノ東ニアリ、創立年月開基僧名詳ナラス、下同シ>、鏡智院<境内東西七間、南北九間、面積百五十一坪、村ノ北ニアリ>
●古跡 松尾寺跡<本村北方青葉山中ニアリ、今尚礎石ヲ存ス、相伝フ、往古松尾寺支院六十五宇アリシヲ、天正後漸ク衰廃ニ属スト>
●名勝 青葉山<村ノ北ニアリ、双峰峙立シ其状馬耳ノ如シ、頂上平坦眺矚ノ際、海ヲ隔テ加能越ノ諸山ヲ望ムヘシ、風土記曰、青葉山者一山而有東西二峰名神在馬云々トアリ>
●物産 大豆<四石>、小豆<一石>、黍<二石>、蕎麦<一石五斗>、桐実<十三石>、櫨実<三百貫目>、以上舞鶴市街市場駅ニ輸送ス
●民業 男女皆農ヲ専業トス