現在の舞鶴市成生(ナリウ)。明治17年当時、戸数 21戸、社3戸、寺1戸、総計25戸、人数 男62口、女68口、総計130口。
・出典 京都府地誌32~35加佐郡村誌1~4、京都府庁文書、京都府立京都学・歴彩館所蔵
村誌 丹後國加佐郡成生(ナリフ)村
本村往古志樂郷ノ部内ニシテ大浦ト称ス、元ト鳴生村ト称セシヲ何■ノ頃カ今ノ字ニ改ム
●疆域 南稍東ハ同郡田井村ト山ヲ以テ界シ、西北ハ野原村ト又山ヲ以テ界シ、東方一帯外洋ニ面ス
●幅員 東西四町四十間、南北二十八町二十間、面積欠ク
●管轄沿革 円満寺村誌ニ同シ
●里程 京都府庁ヨリ西北方本村元標ニ達スル三十二里九町、宮津支庁ヨリ東南方十里九町、四隣南田井村ヘ十五町廿四間<実測>、西野原村ヘ二十四町十三間<実測>
●地勢 東西ニ短縮シ南北ニ豊侈ス、全境山岳重畳シ平坦ノ地ハ極テ稀ナリ、其東北面ハ海水淼渺タリ、陸運ハ艱難ナルモ舟揖ノ利ハ頗ル便ナリ、薪炭ハ略足ル
●地味 其色赭砂礫ヲ混ス、其質中等、稲■ニ適セスシテ甘藷ニ宜シ、水利ハ甚不便ニシテ時々旱害アリ
●税地 田<五丁八反六畝廿壱歩>、畑<九丁弐畝八歩>、宅地<六反四畝廿弐歩>、山<反別欠ク>、総計<拾五丁五反三畝廿壱歩、外荒地五反六畝弐歩>
●字地 糟崎<本村ノ北ニアリ、下同シ、東西一丁十間、南北五十間>、平<東西二町三十間、南北一丁四十間>、袋<東西一丁四十間、南北三十間>、桃崎<東西四十間、南北一丁十間>、溝尻<東西三十間、南北一丁四十間>、波見<東西一丁十五間、南北二丁十間>、櫻濱<東西二丁十間、南北四十間>、比良石<東西三十間、南北二十間>、堀切<本村ノ南ニアリ、下同シ、東西二丁二十間、南北三十間>、橇橋<東西一丁四十間、南北四十間>、足ヶ谷<東西二丁、南北一丁>、小成生<東西五丁、南北四十五間>
●貢租 地租<金百壱円拾六銭三厘>、山税<金拾壱銭八厘>、国税<金四円>、総計<金百五円廿八銭壱厘>
●戸数 本籍二十一戸<平民>、社三戸<無格社>、寺一戸<禅宗>、総計二十五戸
●人数 男六十二口<平民>、女六十八口<平民>、総計百三十口
●舟車 日本形舩二十艘<五拾石未満荷舩九艘、漁舩十一艘>
●山 竹ノ空山<高周欠ク、村ノ西南ニアリ、嶺上ヨリ三分シ、西ハ野原村ニ属シ、南ハ田井村ニ属シ、東北ハ本村ニ属ス、満山襍木ヲ生ス>
●森林 黒地林<官ニ属ス、四履欠ク、反別弐丁三反三畝拾歩、村ノ北ニアリ、本村及ヒ同郡田井村ノ共有ナリ、長三間囲三尺以下松廿五株、長三間囲三尺以下桜五株、長三間囲一丈二尺以下襍木三百七十株>
●出崎 名嶋崎<巉巌ナリ、村ノ東方ニ斗出スル事三丁、斗出ノ所、名ケテ松ヶ下ト云フ、暗礁アリ、灯明台ナシ>、桃崎<巉巌ナリ、村ノ東方ニ斗出スル事凡一丁許、暗礁ナク灯明台ナシ>
●嶋 葛嶋<東西五十間、南北五十間、周回二丁余、本村西北方海上直径十一丁ヲ隔ツ、往古嶋内ニ葛嶋神社アリシヲ今ハ成生神社々内ニ移ス>、磯嶋<東西四十間、南北三十間、周回凡一丁、村ノ東方海上直径一丁許ヲ隔ツ、全嶋樹木ヲ生ス>
暗礁 名嶋礁<東西五間、南北二間、深干潮一丈、村ノ東方名嶋崎ノ傍ニアリ、礁標アリ>
●道路 村道<南方田井村界ヨリ西方野原村界ニ至ル、長十九丁三十七間、巾五尺>
●社 成生神社<社地東西五十間、南北三十三間、面積百六十六坪、村ノ西ニアリ、日子坐王ヲ祭ル、勧請年紀詳ナラス、下同シ、祭日十月九日、境内末社一座アリ>、荒神社<社地東西四間、南北二間、面積八坪、村ノ北ニアリ、日子坐王ヲ祭ル、祭日ナシ、下同シ>、愛宕神社<社地東西三間、南北三間、面積九坪、村ノ西ニアリ、軻遇突智命ヲ祭ル>
●寺 西徳寺<境内東西三十七間、南北四十間、面積百四十九坪、村ノ西ニアリ、禅宗、本郡田井村海臨寺末、嘉吉ノ頃僧一桂開基ス、其後衰微セシヲ僧天外中興ス>
●物産 桐実<四十五石>、麻苧<二十貫目>、鰤<高詳ナラス、下同シ>、鰹・烏賊・鰯・鯖・鯔・鯵、以上若狭國小濵及ヒ本郡舞鶴・與謝郡宮津等ニ販売ス
●民業 男<農ニシテ漁業スル者二十一戸>、女<各夫業ニ従フ>