千歳村 郡村誌

 現在の舞鶴市千歳(チトセ)。明治17年当時、人数 男117口、女104口、総計221口。

・出典 京都府地誌32~35加佐郡村誌1~4、京都府庁文書、京都府立京都学・歴彩館所蔵

    村誌

丹後國加佐郡千歳(センザイ)村

本村往古志楽郷ニ属シ四所浦<佐波賀・大丹生・瀬﨑・本村>ノ部内タリ、旧ト波佐美村ト称セシヲ天和中今ノ称ニ改ムト

●疆域  東北二方ハ同郡大丹生村ト字村奥・字脇地等ノ山嶺ヲ以テ界シ、南ハ佐波賀村ト字阿後(アゴ)峠ヲ以テ界シ、西方一帯外洋ニ面ス

●幅員 東西十一町廿五間、南北八町五十五間、面積欠ク

●管轄沿革 円満寺村誌ニ同シ

【写真一部欠】

計四十五間戸

●人数 男百十七口<平民>、女百四口<平民>、総計二百二十一口

●舟車 日本形舩五十艘<五十石未満荷舩>

●山 下ノ村奥山<高三十三丈二尺、周回欠ク、村ノ東ニアリ、嶺上ヨリ三分シ、北ハ大丹生村ニ属シ、東南ハ佐波賀村ニ属シ、西ハ本村ニ属ス、山脈南北ニ屏列ス、樹木生セス、登路一条、本村字桂谷ヨリ上ル昇リ三丁余>

●川 上ノ村奥川<深所五尺、浅所三尺、巾一間、清ニシテ緩、本村字上ノ村奥ヨリ発水シ、字上ノ村中ニ至リ海ニ入ル、長一丁三十六間>、下ノ村奥川<深所六尺、浅所三尺、巾一間、清ニシテ緩ナリ、本村字下ノ村奥ヨリ発水シ、字下ノ村中ニ至リ海ニ入ル、長五丁二十二間>、裏入川<深五尺、巾一間一尺、清ニシテ緩ナリ、本村北方飛地内ニアリ、源ヲ本村字瀬﨑峠ヨリ起シ、字濱田ニ至リ海ニ入ル、長六丁七間>、石橋二基<共ニ村往還ニ属ス、一ハ橋長八尺五寸、巾三尺五寸、一ハ村ノ北方下村中川ノ下流ニアリ、橋長短、広狭、上ニ同シ>

●森林 博奕﨑(バクチザキ)林<官ニ属ス、四覆欠ク、反別弐丁六反歩、村ノ西北ニアリ、囲一尺以下長一間桐二株、囲七尺以下長一間雑木百十八株>

●道路 村道<村ノ南方佐波賀村界ヨリ北方大丹生村界ニ至ル、長十五丁三十六間、巾五尺二寸余>

●出﨑 博奕﨑(バクチザキ)<一ハ白地﨑ト云、本村及ヒ瀬﨑村ノ共有ナリ、巉巌ニシテ村ノ西北ニ斗出スル二十四丁、灯明台及暗礁ナシ>

●社 北野神社<村社々地、東西十四間五尺、南北十三間、面積百三十三坪、村ノ南方字村中ニアリ、菅原道真ヲ祭ル、勧請年代詳ナラス、寛保二年壬戌再建ス、祭日九月廿四日、境内末社一座又槻椋ノ大樹アリ>、大将軍社<社地東西十二間三尺、南北八間三尺、面積六十二坪、村ノ北方字小谷端(コヤハシ)ニアリ、素盞鳴命ヲ祭ル、創立年代詳ナラス、以下同シ、境内末社二座アリ、祭日九月廿四日>、小屋橋神社<社地四覆欠ク、面積六十二坪、本村字小屋橋ニアリ、祭神由緒祭日共ニ詳ナラス>

●寺 養徳寺<境内東西十三間三尺、南北十一間三尺、面積百九十四坪、村ノ東北ニアリ、禅宗、本郡田井村海臨寺末、某年僧乾岩開基ス>

●古跡 古城墟<所在詳ナラス、丹哥府誌曰、城主ノ伝詳ナラス、備後守ト云人ノ居城ナリトモ伝フト>

●物産 蘿蔔<千十貫目>、蕪箐<四百十五貫目>、牛蒡<四十二貫目>、甘藷<千二百十貫目>、枇杷<千五百三十貫目>、桐実<二十五石>、薪<二万貫目>、蜜柑<千三百貫目>、海巤<九十三斤>、雑魚<六百貫目>、切石<百四十艘(一艘百七十貫目積)>、以上多クハ舞鶴及與謝郡宮津市街等ヘ輸出ス

●民業 男<農ヲ専ニスル者十戸、農ニシテ商ヲ兼ヌルモノ三戸、漁猟及採薪ヲ業トスル者二十二戸、余ハ職工及雑業>、女<農ヲ専業トスル者四十三人、余ハ皆農業ノ傍採薪ス>

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