現在の舞鶴市中田(ナカダ)。明治17年当時、戸数 19戸、社1戸、総計20戸、人数 男57口、女65口、総計122口。
・出典 京都府地誌32~35加佐郡村誌1~4、京都府庁文書、京都府立京都学・歴彩館所蔵
村誌
丹後國加佐郡中田(ナカタ)村
本村古時志楽郷ニ属シ河邉庄ノ部内タリ、尓後分合変換ナシ
●疆域 東北ハ同郡河邉中村ト耕地或ハ山嶺ヲ以テ界シ、西及南ハ平村ト耕地ヲ接シ、東南ハ大波下村ト山嶺ヲ劃リ、西北ハ赤野村ト山地ヲ以テ界シ、西南一隅海水彎入ス
●幅員 東西十三町二十間、南北五町八間、面積欠ク
●管轄沿革 円満寺村誌ニ同シ
●里程 京都府庁ヨリ西北方本村元標ニ達スル凡二十九里九町、宮津支庁ヨリ東北方凡十一里十九町、四隣西平村ヘ十町十二間<実測>、西北赤野村ヘ九町十二間<実測>、東北川邉中村ヘ六町二十五間<実測>、南大波下村ヘ十六町五間<実測>
●地勢 東南豊大ニシテ西北ハ漸狭窄、而シテ其極端ハ又頓ニ豊大ナリ、之ヲ概別スレハ其状恰瓢ノ如シ、豊大ノ部ハ山地ニシテ狭窄ノ部ハ耕田ナリ、運輸便利薪炭乏シカラス
●地味 其色赤粘性砂礫ヲ混ス、其質下等、稍稲・麦ニ可ナルノミ、水利ハ不便ニシテ時々旱損水害アリ
●税地 田<拾丁九反五畝弐歩>、畑<三丁九畝弐歩>、宅地<五反弐畝拾九歩>、山<反別欠ク>、総計<拾四丁五反七畝三歩、外荒地弐反六畝歩>
●字地 村中<村ノ西ニアリ、東西三丁十間、南北一丁十四間>、村下<同上、東西四丁二十間、南北二丁四間>、モサキ<村ノ東ニアリ、東西一丁二十間、南北二丁三十三間>、川向ヒ<同上、東西四丁五十七間、南北三丁>
●貢租 地租<金弐百七円七銭壱厘>、山税<金壱円七拾三銭三厘>、国税<金壱円>、総計<金弐百九円八拾銭四厘>
●戸数 本籍十九戸<士族二戸、平民十七戸>、社一戸<村社>、総計二十戸
●人数 男五十七口<士族六口、平民五十一口>、女六十五口<士族四口、平民六十一口>、総計百二十二口
●牛馬 牝牛三頭
●舟車 日本形舩三艘<五十石未満荷舩>
●山 部内山岳アレトモ卑小ナレハ欠ク
●川 河邉川<深六寸、巾四間、緩流ナリ、海水逆行シテ鹹味ヲ含ム、村ノ東北方河辺中村界ヨリ来リ西南方平村界ニ入ル、長三丁四十五間>、木橋<村往還ニ属ス、架シテ村ノ南方川辺川下流ニアリ、長四間、巾二尺>
●道路 村道三<一ハ村ノ東方川辺中村界ヨリ北方赤野村界ニ至ル、長五丁二十六間、巾一間、一ハ本村元標ヨリ起線シ北方平村界ニ至ル、長二丁十七間、巾一間、一ハ本村元標ヨリ同村界ニ至ル、長二丁十八間、巾一間>
●堤塘 河邉川堤<河辺川ニ沿ヒ、村ノ東北方河辺中村界ヨリ西南方平村界ニ至ル、長七丁三十間、馬踏五尺、堤敷二間、水量定杭長六尺、修繕費用ハ官ニ属ス>
●社 中田神社<村社々地、東西六間、南北四間半、面積二十七坪、村ノ東ニアリ、興津日子神・興津日賣神ヲ祭ル、古来ノ沿革詳ナラス、祭日陰暦八月十四日、境内末社一座アリ>
●民業 男女共ニ農ヲ専業トシ、農隙ニハ男ハ傭役シ、女ハ木綿ヲ織ル