現在の舞鶴市野原(ノハラ)。明治17年当時、戸数 77戸、社6戸、寺1戸、総計84戸、人数 男233口、女243口、総計476口。
・出典 京都府地誌32~35加佐郡村誌1~4、京都府庁文書、京都府立京都学・歴彩館所蔵
村誌
丹後國加佐郡野原(ノハラ)村
本村古時凡海郷ニ属ス、然トモ此郷名今湮滅シテ存セス、中古単ニ大浦ト称ス
●疆域 東ハ同郡田井村・成生村ニ界シ、西ハ小橋村、南ハ観音寺村ト各山嶺ヲ以テ界シ、北方一帯外洋ニ面ス
●幅員 東西二十三町三十間、南北一里四町、面積欠ク
●管轄沿革 円満寺村誌ニ同シ
●里程 京都府庁ヨリ西北方本村元標ニ達スル凡三十一里廿四町、宮津支庁ヨリ東北方凡十三里廿四町、四隣南大山村ヘ三十五町廿二間、東北成生村ヘ廿四町十三間<実測>、東田井村ヘ凡廿五町、西小橋村ヘ廿八町廿二間<実測>
●地勢 三面連山ヲ負ヒ西北大洋ニ臨ム、土地一高一卑整齊ナラス、且耕田ハ少フシテ山地多シ、舟揖ノ利極テ便ナリ、薪ハ足レトモ炭ハ極メテ乏シ
●地味 其色黒白襍糅シ少シク小砂ヲ含ム、其質中等、稲・麦ニ可ニシテ桑・茶ニ適セス、水利ハ不便ニシテ時々旱害アリ
●税地 田<廿六丁八反五畝廿壱歩>、畑<八丁八反壱畝廿八歩>、宅地<壱丁五反四畝拾九歩>、山<反別欠ク>、林<三畝拾六歩>、物干場<三反五畝五歩>、総計<三拾七丁六反廿九歩、外荒地四反弐畝拾九歩>
●字地 岡端<村ノ南ニアリ、東西一丁五十九間、南北三丁二間>、縄手<岡端ノ南ニアリ、東西一丁四間、南北三十二間>、八幡下<縄手ノ北ニアリ、東西三十三間、南北四十二間>、高宮<村ノ東ニアリ、東西一丁三十間、南北四十一間>、家中<村ノ中央ニアリ、東西一丁廿三間、南北一丁十二間>、脇<村ノ北ニアリ、東西五十六間、南北二丁>、向井<脇ノ南ニアリ、東西一丁五十八間、南北一丁廿四間>
●貢租 地租<金三百三拾七円九拾銭九厘>、山税<金五円七拾七銭四厘>、国税<金拾三円八拾銭>、総計<金三百五拾七円四拾八銭三厘>
●戸数 本籍七十七戸<平民>、社六戸<村社一座、無格社五座>、寺一戸<禅宗>、総計八十四戸
●人数 男二百三十三口<平民>、女二百四十三口<平民>、総計四百七十六口
●牛馬 牝牛八頭
●舟車 日本形舩六十九艘<五十石未満農業舩三十七艘、漁舩三十二艘>
●山 松尾山<高百七丈四尺、周回詳ナラス、村ノ南ニアリ、嶺上ヨリ三分シ、南ハ観音寺村・小橋村ニ属シ、東北ハ大山・田井・成生ノ三村ニ接シ、西面ハ本村ニ属ス、山脈東北ニ蜒蜿シ、北方海瀕ニ至リ尽ク、樹木生セス満山紫草ヲ生ス、登路数条アレトモ皆纔ニ樵牧ヲ通スルノミ>
●川 大河<深一尺五寸、巾三間、長二十一町、村ノ南方大山村界ヨリ来リ、本村字濱ニ至リ海ニ入ル、清ニシテ急>
●森林 寺林<官ニ属ス、四履欠ク、反別壱丁四反六畝歩、村ノ東ニアリ、長二間囲三尺以下松四株、長二間半囲三尺以下樫三株、長二間半囲三尺檜一株、囲一尺未満襍本七十株>老人嶋林<小橋村誌ニ詳ニス>
●道路 村道<村ノ西方小橋村界ヨリ東方田井村界ニ至ル、長三十四丁五十五間、巾三尺、本村字村中ヨリ左折シ東北方成生村ニ通ス、又字稲干場ヨリ右折シ東南方大山村ニ通スル両支道アリ>
●出崎 小山岬<巉巖ナリ、村ノ北方ニ斗出スル事五丁、暗礁ナク灯明台ナシ>、立神岩<村ノ北方老人嶋傍近ニアリ、丹哥府志曰、嶋ヨリ十間許リ隔テ切リ立テタルガ如キ巖アリ、周リ七・八尺、四面其高サ三十丈余、海底幾許アル事ヲシラスト>
●嶋 老人嶋<東西凡五丁、南北凡五丁、周回一里、村ノ北方海上直径五里ヲ隔ツ、全嶋樹木ヲ生ス、本村及ヒ三濱・小橋三村ノ共有ナリ、嶋中老人嶋神社アリ、丹後旧事記云、陰陽嶋・雄嶋・女嶋・沓嶋・冠嶋・釣鐘嶋・棒嶋・鵲鴒嶋トモ云フ、陰陽二柱神此嶋ヘ天降リ給ヒ、初テ夫婦ノカタラヒアリテ、荒海大神ト云ヘル龍王ヲ退治シ給フ云々トアリ>
●社 北山神社<村社々地、東西十一間七分、南北十一間、面積百廿九坪、村ノ北方字八幡町ニアリ、祭神及ヒ勧請年紀等詳ナラス、下同シ、祭日陰暦九月九日、境内末社二座アリ>、北野神社<社地東西三間半、南北七間、面積二十三坪、村ノ東方字家ノ奥ニアリ、祭日詳ナラス>、八幡神社<社地東西三間七分、南北三間、面積十一坪、村ノ南方字北山ニアリ、誉田別尊ヲ祭ル、祭日陰暦八月十五日>、荒神社<社地東西四間、南北二間八分、面積十一坪、村ノ東方字堂ノ上ニアリ、祭神及ヒ祭日詳ナラス>、愛宕社<社地東西六間、南北五間、面積三十坪、村ノ南方字北山ニアリ、迦具槌命ヲ祭ル>、老人嶋神社<社地四履面積詳ナラス、村ノ北方老人嶋ニアリ、本村及ヒ三濱・小橋三村ノ共有ナリ、風土記凡海郷條下ニ云、天宝元年三月■■地震三日不已此郷一夜■蒼海、纔郷中之高山二峰与立神岩出海上、今号云常世嶋、亦俗称男嶋・女嶋、毎嶋有神祠所祭者天火明神与目子郎女神也、是海部直幷凡海連等所以齋祖神也トアリ>
●寺 瑞雲寺<境内東西十四間、南北十五間、面積二百十一坪、村ノ東ニアリ、禅宗、本郡田井村海臨寺末、嘉吉二年辛■二月、僧中和開基創立ス、其後衰微セシヲ僧理山再興ス>
●物産 桐実<百三十石>、竹<六百束>、薪<高詳ナラス、下同シ>、海苔・裙帯菜・石花菜・海素麺、以上舞鶴市街ニ輸出ス
●民業 男<農ヲ業トシ傍ラ漁猟ヲ兼ヌル者七十五戸>、女<農ヲ専トシ行商ヲ兼ヌル者百人>