現在の舞鶴市久田美(クタミ)。明治17年当時、戸数 236戸、寄留1戸、社14戸、寺1戸、総計252戸、人数 男496口、女478口、総計974口。
・出典 京都府地誌32~35加佐郡村誌1~4、京都府庁文書、京都府立京都学・歴彩館所蔵
村誌
丹後國加佐郡久田美(クダミ)村
本村古時志託郷岡田荘ニ属スト、或ハ云ノ宇谷荘ノ部内ナリト孰レカ詳ナラス、古来ヨリ変換ナシ
●疆域 東ハ同郡城屋村ト山嶺ヲ以テ界シ、西ハ桑飼下村ノ山嶺及ヒ志高村ノ耕地或ハ大雲川中央ヲ以テ界シ、南ハ丹波国何鹿郡内久井村・本郡桑飼上村ト山嶺ヲ以テ界シ、北ハ三日市・上東・上福井・城屋ノ四村ト諸山嶺ヲ以テ界ス
●幅員 東西三十五町四十間、南北一里十町六間、面積欠ク
●管轄沿革 円満寺村誌ニ同シ
●里程 京都府庁ヨリ西北方本村元標ニ達スル凡二十五里二十四町四間、宮津支庁ヨリ南方凡五里、四隣東城屋村ヘ一里二町五十間、北三日市村ヘ十八町三十間、西志高村ヘ凡六町、南何鹿郡内久井村ヘ一里十八町二十間、南同郡両河内村ヘ一里二十町九間
●地勢 闔境峰巒屏列シ、土地深奥ナリ、西方大雲川傍近ハ稍開闊田圃闢ケタリ、然トモ之ヲ全部ノ山地ニ比スレハ、又是弾丸掌大ノミ運輸稍便薪炭多シ
●地味 其色赤黒錯雑、砂礫ヲ混ス、其質中等稲粱ニ可ニシテ最桑樹ニ適ス、水利ハ不便ニシテ時々旱害アリ
●税地 田<六拾六丁壱反拾壱歩>、畑<拾五丁三反五畝壱歩>、宅地<七丁三反九畝歩>、山<反別欠ク>、薮地<弐反六畝七歩>、総計<八拾九丁壱反拾九歩、外荒地六反弐畝九歩>
●字地 真壁谷(マカベタニ)<本村東方真壁口ノ上ニアリ、東西十一丁二十間、南北五丁四十五間>、暮谷(クレタニ)<本村東方真壁ノ奥ニアリ、東西五丁五十五間、南北七丁五間>、池田<本村東方大橋ノ裏ニアリ、東西十丁二十間、南北七丁三十五間>、杤風呂(トチブロ)<本村南方下地ノ奥ニアリ、東西一丁四十間、南北十二丁五間>、下倉(シタクラ)<本村南方上地ノ上ニアリ、東西四丁五十間、南北九丁三十三間>、峠(タフゲ)<本村南方上地ノ奥ニアリ、東西三丁十五間、南北十三丁二十間>、奥山(オクヤマ)<本村南方肥苅ノ奥ニアリ、東西十五丁二十間、南北五丁五十間>
●貢租 地租<金千廿壱円三拾九銭九厘>、山税<金六円廿六銭三厘>、国税<金三拾九円廿銭>、府税<金三円三拾五銭>、総計<金千七拾円廿壱銭弐厘>
●戸数 本籍二百三十六戸<平民>、寄留一戸<士族>、社十四戸<村社一座、無格社十三座>、寺一戸<禅宗>、総計二百五十二戸
●人数 男四百九十六口<平民>、女四百七十八口<平民>、総計九百七十四口<外寄留男二人、女一人>
●牛馬 牝牛六十二頭
●舟車 日本形舩一艘<五十石未満荷舩>
●山 愛宕山<高凡九十丈周回詳ナラス、本村南方ニアリ、嶺上ヨリ二分シ、東ハ城屋村ニ属シ、西ハ本村ニ属ス、山脈南方ニ延テ遠ク鬼ヶ城ニ亘ル全山柴草多シ、登路一条本村ヨリ左ニ折レ、字赤尾鼻ヨリ東ニ向テ上ル昇リ八丁嶮ナリ、渓水一条字石場谷ヨリ起ル、深五寸、巾五尺、長九丁三十二間、田一丁歩ノ用水ニ供シ、字池田口ニ至リ池田川ニ入ル>、此他山多ケレトモ略ス
●川 大雲川<二等河ニ属ス、深所二丈三尺、浅所三尺、広所六十五間、狭所五十五間、濁ニシテ緩、舟茷通ス、南方志高村境ヨリ来リ、北方三日市村境ニ至ル、長六丁十一間>、本谷川<深所一尺五寸、浅所三寸、広所七間二分、狭所四間、清ニシテ急、源ヲ本村字奥山ヨリ発シ、字池田口ニ至リ、池田川ヲ合セ志高村ヲ経テ大雲川ニ入ル、長五十三丁三十五間>、池田川<深所一尺五寸、浅所三寸、広所四間、狭所二間七分、清ニシテ急、源ヲ城屋村字ホノゴ谷ヨリ発シ、本村池田谷ニ至リ、本谷川ニ入ル、長二十四丁二十間>、真壁谷川<深所一尺、浅所三寸、広所一間七分、狭所一間、清ニシテ急、源ヲ本村字暮谷ヨリ発シ、字真壁谷ニ至リ、大雲川ニ入ル、長二十六丁三十五間>、大橋<舞鶴道ニ属ス、架シテ村ノ北方真壁谷川下流ニアリ、長二間、巾一間半、石造>、這上リ橋<村往還ニ属ス、架シテ村ノ南方本谷川下流ニアリ、長八間、巾一間、土造>、真壁谷溝<真壁谷川ノ分派ニシテ、字エブリヨリ起リ、字下川クゴノ田ニ入ル、長二十九丁四十間、巾三尺五寸、田五丁拾八歩ノ用水ニ供シ、字フンドニ至リ、大雲川ニ入ル>、大井溝<池田川分水ニシテ、字岩神ヨリ起リ、字八反田ノ田ニ入ル、長八丁五十五間、巾三尺五寸、田十四丁四反拾歩ノ用水ニ供シ、字大橋ニ至リ、真壁谷川ニ入ル>、中嶋溝<本村南方兵谷池ヨリ起リ、字中嶋ノ田ニ入ル、長二丁五十二間、巾二尺、田九反歩ノ用水ニ供シ、字カン尻ニ至リ、本谷川ニ入ル>
●森林 真壁山林<官ニ属ス、四覆欠ク、反別三拾四丁四反分、村ノ東ニアリ、囲七尺、長二間半以下、松三千五百三十五株、囲三尺以下、長一間半、杉四株、囲一尺、長一間半以下、檜六株、囲三尺以下、長一間半、栗二百五十株、囲一尺、長一間以下、雑木三千三百一株>
●湖沼 兵谷池<東西十一間半、南北二十一間半、周回六十六間、村ノ南方ニアリ、字中嶋ノ田ノ用水トス>
●道路 舞鶴道<村ノ西方志高村界ヨリ東方城屋村界ニ至ル、長二十四丁五十一間、巾二間、本村元標ヨリ南ニ折レ、丹波國何鹿郡内久井村ニ通ス、又北方字花ノ木ヨリ北ニ折レ、本郡三日市村ニ通スル両支道アリ>、村道二<一ハ本村元標ヨリ起リ、南方何鹿郡内久井村堺ニ至ル、長二十七丁四十間、巾六尺、一ハ本村字花ノ木ヨリ起リ、北方三日市村堺ニ至ル、長二丁四十八間、巾五尺>
●堤塘 大雲川堤<大雲川ニ沿ヒ、南方志高村堺ヨリ北方三日市村界ニ至ル、長六丁十一間、馬踏平均一間、堤敷平均三間、根堅メ所々ニ小竹アリ、修繕費用ハ官民両途ニ属ス>、本谷川堤<本谷川ニ沿ヒ、北方志高村界ヨリ本村字蛇ヶ鼻ニ至ル、長一里四丁五十五間、馬踏平均五尺、堤敷平均一間半>、池田川堤<池田川ニ沿ヒ、西方本村字池田口ヨリ東方城屋村界ニ至ル、長二十三丁、馬踏平均五尺、堤敷平均一間半>、真壁谷川堤<真壁谷川ニ沿ヒ、北方本村字八反田ヨリ本村字真壁谷ニ至ル、長十八丁四十五間、馬踏平均五尺、堤敷平均二間>
●社 熊野神社<村社々地、東西三十三間半、南北四十間、面積九百十二坪、本村南方字馬場地ニアリ、祭神詳ナラス、里俗相伝フ、永禄中創建シ、紀州新宮ヨリ勧請スト、祭日九月十八日、境内末社二座アリ>、天満社<社地、東西二十四間、南北三間半、面積五十九坪、本村南方字池田口ニアリ、祭神及ヒ創建年代詳ナラス、以下同シ、宝暦中再建ス、祭日六月二十五日>、愛宕神社<社地、東西五間、南北七間、面積三十五坪、本村南方字猿ヶ馬場ニアリ、明和八年辛卯再建セリ、祭日六月二十四日>、日吉神社<社地、東西一間半、南北二間、面積三坪、本村南方字兵谷ニアリ、享和三年癸亥再建ス、祭日二月十日>、三桂神社<社地、東西二間、南北一間半、面積三坪、本村南方字一ノ川ニアリ、寛文八年戊申再建ス、祭日三月十四日>、八幡神社<社地、東西二間、南北一間半、面積三坪、本村南方字馬場地ニアリ、再建年代上ニ同シ、祭日八月十四日>、稲荷神社<社地、東西十二間、南北六間、面積七十二坪、本村南方字シルガ谷ニアリ、享保四年己亥再建、祭日六月六日>、岩神社<社地、東西二間、南北四間、面積八坪、本村南方字這上リニアリ、祭日八月十日>、秋葉神社<社地、東西三間半、南北四間、面積十四坪、本村南方字寺ノ上ニアリ、明和三年丙戌再建ス、祭日七月二十一日>、山神社<社地、東西一間、南北二間、面積二坪、本村東方字真壁日向ニアリ、正徳六年丙申勧請ス、祭日十一月九日>、稲荷神社<社地、東西五間、南北六間、面積三十坪、本村東方字赤鼻ニアリ、創建年代不詳、下同シ、祭日七月六日>、愛宕神社<社地、東西五間、南北八間、面積四十坪、本村東方字真壁奥ニアリ、享保十七年壬子再建、祭日七月二十四日>、鹿嶋神社<社地、東西八間、南北五間、面積四十坪、本村南方字コイロニアリ、文政元年戊寅再建ス、祭日八月三日>、妙見宮<社地、東西六間、南北八間半、面積五十一坪、本村南方字カセ村ニアリ、祭日二月八日>
●寺 林渓寺<境内、東西十六間、南北二十三間、面積三百七十坪、禅宗、舞鶴紺屋町桂林寺末、村ノ南方ニアリ、慶長十三年戊申三月僧大渓開基創立ス、尓後衰微セシヲ延享三年丙寅九月僧元笛中興ス>
●学校 人民共立小学校一所<村ノ南方字岩神ニアリ、生徒男六十一人、女六人>
●古跡 醫王寺址<村ノ南方字寺山ニアリ、四覆詳ナラス、里俗云、往古ハ巨刹ニシテ堂塔蘶然タリシヲ、応仁中兵燹ニ罹ルト、今僅ニ薬師堂ノ一宇ヲ存スルノミ>
●物産 渋柿<二千四百貫目>、楮皮<三千貫目>、繭<九百三十四貫目>、桐実<百石>、杉・檜<拾万材>、木炭<六十三駄>、薪<一万貫目>、甘藷<一万貫目>、以上舞鶴市街及ヒ若狭國小濵等ニ輸送ス
●民業 男<農・桑・米・薪・焼炭ヲ兼ヌルモノ二百三十二戸>、女<農・桑・養蚕ヲ兼ヌルモノ百五十人>