現在の舞鶴市桑飼上(クワガイカミ)。明治17年当時、戸数 187戸、社10戸、寺1戸、総計198戸、人数 男387口、女386口、総計773口。
・出典 京都府地誌32~35加佐郡村誌1~4、京都府庁文書、京都府立京都学・歴彩館所蔵
村誌
丹後國加佐郡桑飼上(クハガヒカミ)村
本村古時志託郷岡田荘ニ属ス、或ハ云フ、宇谷荘又ハ原荘ノ属ナリト、然トモ考フ可カラス、中古原村<元和二年検地帳ニ拠ル>ト称セシヲ、何レノ頃カ分離シテ、二村トナリ小原村ト唱フ、尓後又今ノ称ニ改ム
●彊域 東ハ同郡桒飼下村ト岡陵及ヒ耕地ヲ劃リ、又久田美村ト諸山嶺ヲ以テ界シ、西ハ二ケ村ノ諸岡陵及ヒ高津江村ト大雲川中央ヲ以テ界シ、南ハ丹波國何鹿郡両河内村及ヒ本郡市原谷村ト山嶺ヲ以テ界シ、北ハ地頭村ト大雲川中央ヲ以テ界ス
●幅員 東西一里二十三町三十間、南北二十一町五十五間、面積欠ク
●管轄沿革 円満寺村誌ニ同シ
●里程 京都府庁ヨリ西北方本村元標ニ達スル凡二十七里七町二十九間八分、宮津支庁ヨリ南方凡五里、四隣東北桒飼下村ヘ十二町五十四間<実測>、北地頭村ヘ六町十間七分、西北高津江村ヘ十六町四十一間半、西二ヶ村ヘ三十四町六間三分<実測>、南市原谷村ヘ凡一里五町、東南何鹿郡両河内村ヘ一理三十町十九間
●地勢 東南金ヶ岳ヲ負ヒ、其山脈延テ西南ニ綿亘ス、西北方大雲川ヲ帯フ、人家ハ概四部ニ分ル、運輸便利、薪炭多シ
●地味 淡黒色粘性、砂礫ヲ混ス、其質上等、稲梁ニ冝シクシテ、最桑樹ニ適ス、所謂桑飼ノ名ニ背カサル者ノ如シ、水利ハ諸流アレトモ川身浅薄ナルヲ以テ用ニ供セス、時々旱害アリ
●税地 田<四拾壱丁八反八畝廿弐歩>、畑<五拾弐丁壱反七畝廿壱歩>、宅地<五丁三反八畝拾七歩>、山<反別欠ク>、藪地<壱反五畝拾九歩>、沼<七畝拾九歩>、総計<九拾九丁六反八畝八歩、外荒地八反三歩>
●飛地 本村東方桑飼下村ノ内田<弐丁弐反六畝弐拾三歩>、畑<弐丁弐反六畝弐拾歩>、宅地<壱反五畝拾五歩>、漕池<拾四歩>
宅地 大呂(オホロ)<村ノ東南ニアリ、東西十二丁三十五間、南北十七丁四間二歩>、小原<村ノ西南ニアリ、東西十六丁二十五間、南北六丁三十一間>、瀧谷<村ノ南ニアリ、東西五丁二十七間、南北九丁十二間>、芦谷<同上、東西十二丁十三間、南北五丁十六間四歩>、宇谷<同上、東西八丁、南北十丁三間>、矢田<村ノ西南ニアリ、東西五丁二十六間四歩、南北十三丁二十三間三歩>、砂田<同上、東西三丁二十三間二歩、南北十三丁三十三間三歩>、狭迫(セハサコ)<村ノ西方ニアリ、東西三丁二十七間、南北五丁一間>
●貢租 地租<金八百円五銭四厘>、山税<金壱円七拾三銭七厘>、国税<金四拾五円廿七銭九厘>、府税<金七円三拾六銭五厘>、総計<金八百五拾四円四拾三銭五厘>
●戸数 本籍百八十七戸<平民>、社十戸<村社二座、無格社八座>、寺一戸<禅宗>、総計百九十八戸
●人数 男三百八十七口<平民>、女三百八十六口<平民>、総計七百七十三口
●牛馬 牡牛十五頭、牝牛三十七頭、総計五十二頭
●舟車 日本形舩六艘<五十石未満荷舩五艘、渡舩一艘>
●山 金ヶ嶽<高凡百十丈、周回分明ナラス、村ノ東ニアリ、嶺上ヨリ五分シ、東ハ久田美村ニ属シ、南ハ何鹿郡両河内村ニ属シ、西ハ本郡市原谷村及ヒ二ヶ村ニ属シ、北ハ桒飼下村ニ属シ、西北ハ本村ニ属ス、山脈西南方鬼ヶ城山ニ連リ、東北赤尾山ニ亘ル、樹木鬱葱ス、登路九条アリ、一ハ本村ヨリ東ニ折レ字ナメラヨリ上ル昇リ凡五丁険ナリ、下同シ、一ハ本村字宮ノ谷ヨリ東北ニ向ケ上ル昇リ凡三丁、一ハ本村字孫林ヨリ東北ニ向テ上ル昇リ凡二丁、一ハ本村馬ケ谷ヨリ東北ニ向テ上ル昇リ三丁易ナリ、下同シ、一ハ本村字糸操ヨリ南ニ折レテ上ル昇リ凡五丁、一ハ本村字瀧ノ内ヨリ東南ニ向テ上ル昇リ凡八丁、一ハ本村字深山ヨリ西方ニ向テ上ル昇リ凡一丁、頗ル険ナリ、一ハ本村字七色ヨリ西方ニ向テ上ル昇リ凡十丁易ナリ、下同シ、一ハ本村字イノダヨリ西南ニ向テ上ル昇リ凡三丁、渓水二条アリ、一ハ小原川ノ水源ナリ、深三寸、巾一間半、一ハ字滝ノ内谷ヨリ発シ、字堂ノ前ニ至リ、小原川ニ合ス、深三寸、巾一間半>
●川 大雲川<二等河ニ属ス、深所二丈、浅所二尺、広所一丁十間、狭所五十間、濁ニシテ緩、舟筏通セス、西方二ヶ村界ヨリ来リ、東北方桒飼下村界ニ入ル、長二十丁三十一間>、小原川<深五寸、巾四間、清ニシテ急、源ヲ本村金ヶ嶽ヨリ発シ、字大呂・小原・宇谷ヲ貫流シ、字宇谷ニ至リテ、大雲川ニ入ル、長一里十五丁三十間>、舩渡𣘺<舞鶴道ニ属ス、架シテ村ノ北方小原川下流ニアリ、巾四尺、長五間、木製>、大呂上溝<本村字由里ノ下ヨリ起リ、字同上ニ至リ、大呂川ニ入ル、長一丁十間、巾二尺、田壱反拾八歩ノ用水ニ供ス>、大呂下溝<本村字由里ノ下ヨリ起リ、字同所ノ田ニ入ル、長一丁六間、巾二尺、田弐反三畝九歩ノ用水ニ供ス、下流大呂川ニ入ル>、小原溝<本村字大井根ヨリ分流シ、字前田ニ至リ、三派ニ分レ田ニ入ル、長四丁十六間、巾二尺、田壱丁四反八畝弐拾九歩ノ用水ニ供ス>、宇谷溝<本村字宇谷ヨリ起リ、二派ニ分レ田ニ入ル、長十三丁三十六間、巾二尺、田弐丁八反八畝弐拾五歩ノ用水ニ供ス、下流大雲川ニ入ル>、矢田溝<本村字矢田ヨリ起リ、同上ノ田ニ入ル、長三丁二十九間、巾二尺、田壱丁弐反拾八歩ノ用水ニ供シ、字竹橋ニ至リ、砂田溝ニ会ス>、砂田溝<本村字砂田ヨリ起リ、字八ヶ坪ノ田ニ入ル、長十二丁五十一間、巾三尺、田五丁六畝弐拾壱歩ノ用水ニ供シ、下流大雲川ニ入ル>
●湖沼 那草沼<東西三十三間、南北八間、周回一丁八間、村ノ西方ニアリ、本村字那草田ノ用水ニ供ス>
●道路 舞鶴道<西方二ヶ村界ヨリ北方桒飼下村界ニ至ル、長二十丁五十三間八分、巾二間、本村字宇谷ヨリ北ニ折レ高津江村ニ通ス、又字同所ヨリ南ニ折レ丹波國何鹿郡ニ通ス、又字狭迫ヨリ西北ニ折レ高津江村ニ通スル三支道アリ>、丹波往還<本村元標ヨリ南方丹波國何鹿郡両河内村界ニ至ル、長一里十丁五十九間、巾一間、本村字小原ヨリ西南ニ折レ本郡市原谷村ニ通スル支道アリ>
●堤塘 大雲川堤<大雲川ニ沿ヒ、西方字狭迫ヨリ北方桒飼下村界ニ至ル、長十七丁五十一間、馬踏二間、堤敷六間、根堅メ小竹繁茂ス、修繕費用ハ官民両途ニ属ス>、小原川堤<小原川ニ沿ヒ、村ノ東方字大呂ヨリ字宇谷ニ至ル、長二十二丁五十五間半、馬踏三尺、堤敷一間>
●社 宇谷神社<村社々地、東西十五間、南北二十間、面積六百八十九坪、村ノ北方字宇谷ニアリ、伊邪那岐命ヲ祭ル、由緒詳ナラス、祭日九月十二日、境内末社五座アリ>、上村神社<村社々地、東西十七間、南北十一間、面積三百九十七坪、村ノ西方字上村ニアリ、祭神由緒共ニ詳ナラス、下同シ、祭日九月十二日、境内末社四座アリ>、熊野神社<一ニ小原社ト云、社地東西十四間、南北十九間、面積二百七坪、村ノ東方字小原ニアリ、祭神詳ナラス、下同シ、祭日九月十二日、境内末社二座アリ>、大呂神社<社地東西十一間、南北八間、面積六十五坪、村ノ東方字大呂ニアリ、祭日九月十二日、境内末社一座アリ>、愛宕神社<社地東西七間、南北六間、面積四十坪、村ノ西南字同上ニアリ、祭日七月二十四日>、愛宕神社<社地東西十間、南北五間、面積五十三坪、村ノ東南字舘ニアリ、祭日七月二十四日>、廣峰神社<社地東西五間、南北四間、面積二十二坪、村ノ南姥ヶ懐ニアリ、祭日七月十八日>、愛宕神社<社地東西六間半、南北五間、面積三十九坪、村ノ東北字堂ノ上ニアリ、祭日七月二十四日>、稲荷神社<社地東西三間半、南北三間、面積十一坪、村ノ東北字松尾ニアリ、祭日七月二十一日>、愛宕神社<社地東西七間、南北六間、面積四十二坪、村ノ東南字庵ノ谷ニアリ、祭日七月二十四日>
●寺 荘厳寺<境内東西二十八間、南北三十五間、面積四百六十六坪、村ノ東北ニアリ、禅宗、本郡舞鶴桂林寺末、寛永二十年癸未、僧万境開基創立ス、其後衰微セシヲ、天和三年癸亥、僧霊重再興ス>
●学校 人民共立小学校一所<村ノ東方字宇谷ニアリ、生徒男四十九人、女十人>
●郵便局 五等郵便局<村ノ南字宇谷民宅中ニアリ>
●古跡 古城墟<村ノ東方字舘ニアリ、東西十間半、南北五間、五陵形ヲナシ、周回斜壇多シ、村伝フ、永禄中飯田貞之此ニ拠ル、天正中ニ至リ、長岡氏ノ為ニ亡フト>
●物産 繭<千八百貫目>本郡舞鶴及ヒ福知山・宮津等ニ販売ス、生糸<十八貫目>宮津及ヒ京都ニ輸送ス、楮皮<二千貫目>若狭國小濵ニ輸出ス
●民業 男<農・桒ヲ業トシ養蚕ヲ兼ヌルモノ、百八十七戸>、女<農・桑・養蚕・製糸ヲ兼ヌルモノ、二百七十人>