寺田村 郡村誌

 現在の舞鶴市寺田(テラダ)。明治17年当時、戸数 40戸、社2戸、寺1戸、総計43戸、人数 男128口、女127口、総計255口。

・出典 京都府地誌32~35加佐郡村誌1~4、京都府庁文書、京都府立京都学・歴彩館所蔵

    村誌

丹後国加佐郡寺田(テラタ)村

本村古時大内郷ノ属ニシテ池ノ内谷八ヶ村ノ部内タリ、古来分合変遷ナシ

●疆域  東ハ同郡与保呂村、南ハ白滝村、北ハ行永村ト各山嶺ヲ以テ界シ、西ハ上根村ト野径或ハ溝洫ヲ以テ界ス

●幅員 東西二十一町、南北十四町、面積欠ク

●管轄沿革 円満寺村誌ニ同シ

●里程 京都府庁ヨリ西北方本村元標ニ達スル二十三里三十町、宮津支庁ヨリ東南方七里半余、四隣北行永村ヘ一里三町六間、西上根村ヘ十二町五十七間<実測>

●地勢 三面連山ヲ負ヒ、西方稍闢ケ上根村耕地ニ連ル、地勢艮ヨリ坤ニ長ク、池ノ内川村ノ中央ヲ貫通ス、運輸極メテ不便薪炭乏シカラス

●地味 紫黒色ニシテ往々砂礫ヲ混ス、其質中等、稲粱ニ適ス、水利ハ便ニシテ旱害ナシ

●税地 田<拾七町七反弐畝拾六歩>、畑<四町四反五畝弐拾弐歩>、宅地<壱町七反七畝弐拾六歩>、山<反別欠ク>、林<壱畝弐拾九歩>、総計<弐拾三町九反八畝三歩、外荒地三町七反七畝三歩>

●飛地 本村西方上根村ノ内田<拾町六反弐畝弐拾三歩>、畑<壱町六反六畝歩>、宅地<壱反七畝弐拾九歩>、溜池<壱畝五歩>

●字地 村中<村ノ中央ニアリ、東西二町三十間、南北三十間>、三月谷<村ノ東ニアリ、東西一町三十間、南北十五間>、髙由里<村ノ西南飛地内ニアリ、東西四十四間、南北二十間・・>、上清水<村ノ西飛地内ニアリ、東西三十間、南北一町十間>、長畑<同上、東西三町二十間、南北二十四間>、トチ迫<同上、東西四十六間、南北三十四間>、由里下<同上、東西一町十二間、南北三十四間>、見谷口<同上、東西二町、南北一町十間>

●貢租 地租<金百八拾七円九拾壱銭七厘>、山税<金弐円六拾九銭七厘>、総計<金百九拾円六拾壱銭四厘>

●戸数 本籍四十戸<平民>、社二戸<無格社>、寺一戸<禅宗>、総計四十三戸

●人数 男百二十八口<平民>、女百二十七口<平民>、総計二百五十五口

●牛馬 牡牛三頭、牝牛六頭、総計九頭

●山 三月山<高三十九丈、周回詳ナラス、村ノ東ニアリ、嶺上ヨリ三分シ、西南ハ本村ニ属シ、東北ハ行永村ニ属シ、東ハ与保呂村ニ属ス、山脈東方丹波国何鹿郡上林上ヨリ発シ本村ニ来リ、西ニ向テ本郡布敷村宮谷山ニ至テ止ム、全山榛莽ヲ生ス、登路二条、一ハ字榎ノ谷ヨリ上ル昇リ四丁、一ハ小逕ナレハ欠ク>

●川 池ノ内川<深所二尺五寸、浅所尺ニ充タス、広所五間、狭所三間、緩ニシテ清、水源二アリ、一ハ字枠谷ヨリ発シ、一ハ字三月谷ヨリ発、本村字村中ニ至リ合テ西流シ、上根村界ニ入ル、長凡二十町>、森ノ下橋<村往還ニ属ス、架シテ村ノ稍北方三月谷川下流ニアリ、橋長三間、巾五尺、土造>

●道路 村道<村ノ西方上根村界ヨリ東方行永村界ニ至ル、長二十一町八間、巾四尺>

●堤塘 池ノ内川堤<池ノ内川二沿ヒ、村ノ西方上根村界ヨリ本村字三月谷ニ至ル、長二町五十六間、馬踏一間、堤敷二間、修繕費用ハ官民両途ニ属ス>

●社 山神社<社地東西十四間、南北十三間、面積百八十二坪、村ノ東ニアリ、大山祇神ヲ祭ル、祭日陰暦六月十日、境内老樹数株アリ>、岩神社<社地東西四間、南北五間、面積二十坪、村ノ東南ニアリ、日本武尊ヲ祭ル、祭日陰暦六月朔日>

●寺 久岸寺<境内東西二十三間、南北十二間、面積二百七十六坪、禅宗、本郡舞鶴紺屋町桂林寺末、村ノ中央ニアリ、寛永七年庚午三月、僧芳達開基創立ス>

●物産 桐実<五拾石>、櫨実<二百貫目>、已上舞鶴市街ニ輸送ス

●民業 男女皆農ヲ業トス

 現在の舞鶴市寺田(テラダ)。明治17年当時、戸数 40戸、社2戸、寺1戸、総計43戸、人数 男128口、女127口、総計255口。

・出典 京都府地誌32~35加佐郡村誌1~4、京都府庁文書、京都府立京都学・歴彩館所蔵

    村誌

丹後国加佐郡寺田(テラタ)村

本村古時大内郷ノ属ニシテ池ノ内谷八ヶ村ノ部内タリ、古来分合変遷ナシ

●疆域  東ハ同郡与保呂村、南ハ白滝村、北ハ行永村ト各山嶺ヲ以テ界シ、西ハ上根村ト野径或ハ溝洫ヲ以テ界ス

●幅員 東西二十一町、南北十四町、面積欠ク

●管轄沿革 円満寺村誌ニ同シ

●里程 京都府庁ヨリ西北方本村元標ニ達スル二十三里三十町、宮津支庁ヨリ東南方七里半余、四隣北行永村ヘ一里三町六間、西上根村ヘ十二町五十七間<実測>

●地勢 三面連山ヲ負ヒ、西方稍闢ケ上根村耕地ニ連ル、地勢艮ヨリ坤ニ長ク、池ノ内川村ノ中央ヲ貫通ス、運輸極メテ不便薪炭乏シカラス

●地味 紫黒色ニシテ往々砂礫ヲ混ス、其質中等、稲粱ニ適ス、水利ハ便ニシテ旱害ナシ

●税地 田<拾七町七反弐畝拾六歩>、畑<四町四反五畝弐拾弐歩>、宅地<壱町七反七畝弐拾六歩>、山<反別欠ク>、林<壱畝弐拾九歩>、総計<弐拾三町九反八畝三歩、外荒地三町七反七畝三歩>

●飛地 本村西方上根村ノ内田<拾町六反弐畝弐拾三歩>、畑<壱町六反六畝歩>、宅地<壱反七畝弐拾九歩>、溜池<壱畝五歩>

●字地 村中<村ノ中央ニアリ、東西二町三十間、南北三十間>、三月谷<村ノ東ニアリ、東西一町三十間、南北十五間>、髙由里<村ノ西南飛地内ニアリ、東西四十四間、南北二十間・・>、上清水<村ノ西飛地内ニアリ、東西三十間、南北一町十間>、長畑<同上、東西三町二十間、南北二十四間>、トチ迫<同上、東西四十六間、南北三十四間>、由里下<同上、東西一町十二間、南北三十四間>、見谷口<同上、東西二町、南北一町十間>

●貢租 地租<金百八拾七円九拾壱銭七厘>、山税<金弐円六拾九銭七厘>、総計<金百九拾円六拾壱銭四厘>

●戸数 本籍四十戸<平民>、社二戸<無格社>、寺一戸<禅宗>、総計四十三戸

●人数 男百二十八口<平民>、女百二十七口<平民>、総計二百五十五口

●牛馬 牡牛三頭、牝牛六頭、総計九頭

●山 三月山<高三十九丈、周回詳ナラス、村ノ東ニアリ、嶺上ヨリ三分シ、西南ハ本村ニ属シ、東北ハ行永村ニ属シ、東ハ与保呂村ニ属ス、山脈東方丹波国何鹿郡上林上ヨリ発シ本村ニ来リ、西ニ向テ本郡布敷村宮谷山ニ至テ止ム、全山榛莽ヲ生ス、登路二条、一ハ字榎ノ谷ヨリ上ル昇リ四丁、一ハ小逕ナレハ欠ク>

●川 池ノ内川<深所二尺五寸、浅所尺ニ充タス、広所五間、狭所三間、緩ニシテ清、水源二アリ、一ハ字枠谷ヨリ発シ、一ハ字三月谷ヨリ発、本村字村中ニ至リ合テ西流シ、上根村界ニ入ル、長凡二十町>、森ノ下橋<村往還ニ属ス、架シテ村ノ稍北方三月谷川下流ニアリ、橋長三間、巾五尺、土造>

●道路 村道<村ノ西方上根村界ヨリ東方行永村界ニ至ル、長二十一町八間、巾四尺>

●堤塘 池ノ内川堤<池ノ内川二沿ヒ、村ノ西方上根村界ヨリ本村字三月谷ニ至ル、長二町五十六間、馬踏一間、堤敷二間、修繕費用ハ官民両途ニ属ス>

●社 山神社<社地東西十四間、南北十三間、面積百八十二坪、村ノ東ニアリ、大山祇神ヲ祭ル、祭日陰暦六月十日、境内老樹数株アリ>、岩神社<社地東西四間、南北五間、面積二十坪、村ノ東南ニアリ、日本武尊ヲ祭ル、祭日陰暦六月朔日>

●寺 久岸寺<境内東西二十三間、南北十二間、面積二百七十六坪、禅宗、本郡舞鶴紺屋町桂林寺末、村ノ中央ニアリ、寛永七年庚午三月、僧芳達開基創立ス>

●物産 桐実<五拾石>、櫨実<二百貫目>、已上舞鶴市街ニ輸送ス

●民業 男女皆農ヲ業トス

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