田辺藩土目録

 江戸時代田辺藩領の町村の村高や貢租に関する基礎資料。

 田辺藩128ヶ村と町分1の田・畑・屋敷地それぞれの地積と石盛および村高、灌漑用地や道路用地などの定引(控除)、毛付高と免(税率)などが記されている。さらに運上・小物成・継物などの諸貢租、藩の立山立薮、新田畑高などが記載され、江戸時代の町村の実勢が分る。

 田辺藩では村々は六つの代官所に管轄されていたので、土目録もそれに応じた六分冊となっている。「田辺藩土目録」の表題は舞鶴市史が作成したもので、原本に表題はない。作成年代は不明だが、同市史史料編の解説では、内容から19世紀初頭の作成と推定している。

 数値を統計化してみると、田面積の最大は行永村の805.8反、最小は神崎村の0反。畠面積の最大は北有路村39.4反、最小は小俣村11反となる。全体的に田が優位だが、大浦代官組から川口西、東代官組に比較的畑が多く、志楽組から中筋組には田が多い。

 村高としては行永村1147石を筆頭に、志高村753石、北有路村746石と続く。最小は成生村31.7石で、漁業が主たる生業であることがわかる。村高は慶長7年(1602)の検地がベースになっており、多くの村でその後の実収穫高の増加が村高に反映されていないためか、免は高率となっている。

 貢租は、高掛りの税目と、村の特徴が出る税目がある。後者の代表的なものとしては、由良村と神崎村に課される塩浜年貢や塩浜運上など製塩に関わる税、由良川流域の村々に課される川網に関わる税、大浦半島の村々に課税される漁業に関する税があり、村の生業の特色がわかる。

 新田畑については、別の史料(※)との比較から、延享4年(1747)までの高が記載されていると推定できる。

参考:『舞鶴市史 史料編』1973  https://dl.ndl.go.jp/pid/9573285

原典:糸井文庫、舞鶴市郷土資料館所蔵

  「舞鶴市糸井文庫書籍閲覧システム」  田邊藩牛田文書「領内各町高と分米」

   (https://www.dh-jac.net/db1/books/search_maiduru.php?lang=ja)

※「丹後国田辺領郷村高辻帳」(舞鶴郷土資料館蔵 大滝家文書)

関連する歴史の人物

関連する人物はいません。