うだにじょう
・舞鶴市字桑飼上小字宇谷他
・遺構---曲輪、堀切、竪堀、土塁、虎口、横堀、畝状空堀群 ・占地---山頂
・標高---55m ・比高---50m ・遺跡地図番号---32
この城は、由良川南岸の桑飼上集落の城山に位置する。対岸の地頭からは、宮津や丹後方面への街道が延び、由良川には渡し舟があった。三方の尾根筋は二重の堀切で遮断し、竪堀や畝状空堀群とからみ合わせ、堅固な構えとなっている。規模は東西100m程で、主郭の西、南、東の三方は土塁囲みとなり、その東には曲輪があり、さらにその北にも曲輪が続く。北曲輪の西側には土塁が敷設され、集落への道が北側の斜面を通っている。主郭の北斜面には帯状の曲輪があり、畝状空堀群が敷設されている。また、南斜面には竪堀・横堀・畝状空堀群が網の目のように敷設され、尾根続きの防禦の厳重な事に驚かされる。中規模の城郭としての縄張り構成は舞鶴市内随一である。
城主については、「嶽家文書」などでは飯田河内貞之などとしており、近世の地誌類では一色兵部詮忠などとしている。15世紀中頃の「丹後国惣田数帳」には、志高郷の領主のひとりとして井田河内守の名がみえ、飯田氏との関連が伺える。現在飯田株は桑飼下にある。地元には大城野、馬場ノ上、馬場ノ下、ト城、館、木屋口敷、館ノ下、矢ヅクシ、弓立、武者ケ谷などの小字名が残る。